春のような日差しの中で
塾教師も40年やってくると、サバイバル感がちょっとなくなって来た感がある。
30代でバブルが崩壊したあたりが、今思うとしんどかったね。大学受験の英語専門塾でスタートした僕の塾はバブル期ということもあってそれなりの需要があった。岩手の地方都市でも、その恩恵があって私立大学への進学率が一気に上昇した時代だった。
ところがバブルがはじけると、私大への進学率が急激に低下。苦肉の策として私立大学は英語テストを必要としないAO入試なるものを始めた。
僕の塾に閑古鳥が鳴き始めた。元々独立前に勤めていた塾では中学生部門は全教科を担当していたので、中学生全教科指導の寺子屋塾に切り替えた。
そして震災後、高校受験の倍率が1倍を切る公立高校が続出。中学生の塾通いが一気に停滞した。一関一高附属中学が誕生して一関は開塾ブームだったこともあり、僕が塾を始めた頃より、一関市内の塾の数が3倍以上になっていた。
少ない駒を奪い合うサバイバル戦が繰り広げられ、多くの塾が去って行った。僕の塾が残ったのは、月謝が安かったのもあるが、複数の私立高校から講師の仕事をいただき、塾経営の不足分を補填できたからだ。私立高校の講師歴は10年以上になる。
僕の塾の教室からは須川岳は見えないが、現在講師で行っている一関修紅高校の2階、3階からは雪を被った須川岳が一望出来る。
春のような日差しの中で、こうやって過去を振り返っているわけだけれど、還暦もとうに過ぎた僕は、サバイバルゲームからは完全に足を洗った。自分の出来ることを、無理せずやること、それが僕の偽らない現在のスタンスである。
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