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2023年11月 1日 (水)

人道的と言う意味

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人道的見地からと言うフレーズ、メディアは使い過ぎてしまって、戦争でもテロでも人道的立場から云々とコメントしておけばまあいいっかと言う雰囲気が全面に押し出されて、イラつく。

そもそも人道的な人間は、市民が暮らす街中にミサイルを打ち込まないし、人道的人間は土地が欲しいからと言って侵略しない。

故に人道的見地からとか人道的立場からと、いくら言葉で発信しても、やっている連中には馬耳東風、馬の耳に念仏である。馬さんには失礼だけれども。

人間の欲望の前には人道的な見地はない。あるのは自分が生きて行く可能性を希求する刹那だ。

例えば泥棒はいけない。他人のものを奪わないと生きていけない人間に、そんなことをしないで働きなさいと忠告しても、彼が奪いとったパンがその日の唯一の食糧だとしたら、忠告は却下されるだろう。

その場合人道的な人間はどうする。泥棒にお金を与えるだろうか、それとも泥棒なので当然のこととして警察に突き出すだろうか。

人間の命を救うことと、人間の命を奪う行動は、時に紙一重の状況が横たわる。国家間の戦争しかり、宗教戦争しかり。

自分たちの正義が、他人の脅威になることは日常茶飯事だ。

あいつがいなくなれば、俺は救われる。あの国さえなくなれば平和が訪れる。それが人道的であるかどうかなんて、思考に絡めとられることはない。

子どもの時に見たテレビ漫画に『妖怪人間ベム』と言う漫画があった。主題歌のフレーズの中に、「早く人間になりたい」と言う言葉が出てくるのだけれど、我々もまだ人間になっていないのかも知れない。

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