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2023年11月 5日 (日)

自殺を自死と変えても本質は変わらない

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自殺という言葉は残された家族に対して辛いし、精神的な負荷を背負い続けるので、自死という言葉にすべきという意見がある。

新聞やマスコミも最近は自死と言う言葉を使うが、果たして言葉の問題だろうか。

僕は自殺は自殺であって自死に変えたとしても自殺だと思う。問題は言葉じゃなくて、社会の冷たい反応にある。無視と言ってもいいかもしれない。

中学時代の友人が自ら自分の命を絶った。以前の職場の上司が還暦を過ぎて自殺と言う手段で他界した。一番親しかった僕の従兄弟が、家族を残して自宅で自殺した。

悲しみよりもやるせなさに襲われた。自殺に追い込まれた想いを想像しても、思考が追いついていかない自分がいた。

言葉に語弊があるかもしれないが、人は誰でも一度や二度自殺を考えたことはあるんじゃないだろうか。僕も死にたいと思ったことがある。

でも死ねなかった。いや死ななかった。今なら冷静に当時のことを振り返ることが出来る。負けたままで自分の人生を終わらせたくなかった。家族のことは正直脳裏には浮かばなかった。世の中に於ける自分の立ち位置に納得しないまま人生を終わらせたくないと言う想いが自殺をとどめた。

当時は暗い部屋から、外のほんの少しだけ見える世界を眺めただけで、僕は世界に絶望していた。

こんなに頑張ってきたのに、なんで報われないんだろうと言う疲労感、焦燥感。それが絶望に変わるのにそれほどの時間はかからなかった。

努力が大切だと洗脳されて育ってきた。努力の先に何があるかなんかを考えもせずに。

社会に単に利用されるために、僕は努力をしてきたのではないか。社会を学校や家族や仕事場と変えてもいい。そんな想いに僕はエネルギーを奪われていった。

僕は社会を信じなくなって、自分を取り戻すことができた。テレビや新聞、そう言ったメディアを全て遮断した。

おまけに努力に頼るのもやめた。自分のやりたいことを楽しむことを優先した。故にお金に苦労しっぱなしの人生だった。それでも楽しく生きてこれたことに僕は後悔はない。

失敗は成功のもとと言うふざけた言葉がある。誰が言い出したのだろう。そいつをボコボケにしてやりたい気分だ。

自殺を自死と言い換える前に、そう言ったふざけた至言を抹消したらいい。

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