農家の長男坊が東京さ行って文学勉強してなにすってや
高校を終えて、東京の大学に行って文学部に入るって言った時に、親戚や叔父叔母から言われた言葉。
翻訳すると、農家の長男なんだから農学部で農業や農業機械工学を学ぶならまだしも、お金にもならない文学なんかやってどうするつもり、と言うことでしょうか。
いやいや、僕のさらなる野望は、大学を隠れ蓑にして音楽をやることでしたから、能天気なのも甚だしい限りでした。
僕の農業に対する情熱は全くありませんでした。減反政策を実施した国の政策の元では、米農家の未来は見えませんでしたね。
文学部を終えたおかげで、寺子屋もやって来れましたし、私立高校でも国語や英語の非常勤講師しとして使って頂いているわけで、自分の選択はベストではなかったにしても、致命的なミステイクではなかったとおもっています。
ハッタリと出たとこ勝負で生きてきた人間なもので、計画性とかピジョンとか言うものには全く縁がなく、妄想力だけが唯一の武器でした。
きっとそんな僕が自由人に見えたのでしょうか。今年担当した一関修紅高校の3年生が4名も僕の母校である大学を志願しました。
先生どこの大学出たの?としつこく聞いて来たので、ちょっとムカついていたのですが、(笑)そう言うことだったんですね。
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