僕にとっての原風景は須川岳の雪景色
一関では須川岳と呼ばれ、宮城県北では栗駒山と呼ばれるこの山、実に稜線が綺麗な山である。初霜が里に降りると、須川岳は雪に閉ざされる。
小さな頃からずっとずっとこの山は、故郷のシンボルであり言わば原風景そのものだった。
嬉しい時も悲しい時も、見上げれば山はそこにあり、その姿に励まされそして癒されてきた。
秋になり須川岳に雪が降ると、僕の父は関東方面に出稼ぎに向かった。そして春になり須川岳の雪が解け始めると田植えの準備で父は戻って来た。
遠い遠い昔のことなのに、雪化粧をした須川岳を見ると、昨日のことのように出稼ぎ支度をしていた父を思い出す。
さりげなく通り過ぎてきた時代、変わらないものがあるとすれば、それは故郷に生きてきた人たちの想いを受けとめてきた雄大な自然と、木漏れ日のような優しさではないだろうか。
たゆまない営みの中で、僕らはほんの少しの希望とほんの少しの夢を抱いて生きている。たとえ今日・明日終わる命であっても、その希求する魂は普遍だ。
山を駆け抜けてくる風に、冬の匂いがする。そろそろタイヤの替え時だ。
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