怒涛の塾屋稼業
33年前の教室の写真が一枚だけ残っている。ガレージを改造した教室。今見ると看板がベタベタ貼り付けて合ってカオスだ。
今ならこんな塾を始めても誰も来ないな。よくぞ塾生が集まってくれたという気がする。
時はバブル。地方でも一気に大学進学率が急上昇した時代だった。大学入試には英語が欠かせない。大学に入りたいけど英語がちょっとという高校生が入塾して来た。
順調に思えた塾も、バブルが崩壊し、私大の進学率が頭打ちになった。大学は存続をかけて、AO入試なるものをスタートさせた。英語を受験しなくても、内申書と作文で合格という離れ業が生まれたのである。
高校生だけを指導していた僕の塾は一気に生徒数が落ち込んで行った。
背に腹はかえられない。中学生の全教科指導にシフトさせた。自分の専門がどうのこうのと言っている場合ではなくなった。そうなってくると一斉授業は不可能なので個別指導に切り替えた。いわゆる寺子屋式である。
しばらくすると一関一高に附属中学が誕生した。その需要を狙って、多くのフランチャイズ塾が怒涛の如く市内に雪崩こんで来た。一関は塾の戦国時代に突入した。そして東日本大震災。
万事塞翁ではないけれど、悪い事も続かない代わりに、いいことも続かない。震災から立ち直り、景気も順調に伸びてきたと思った矢先、これからという時に新型コロナのパンデミック。
33年間多くの副業をやりながら、なんとか塾を存続させてきた。30歳で独立して塾を始めた僕は63歳になる。さすがに33年間は長かった。
そう言えばこのブログもスタートして15年になる。書きたいことを書いてきた。僕のストレス解消ブログの感がなくもないが、まあジジイの悪あがきだと思って、おおめに見て頂ければ幸いです。
今日の朝は氷点下まで気温が下がった。納屋の入り口に置いていたバケツの水が凍っていた。やばい・・
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