たまたま脈絡もなく
先日とあるお宅の庭でマルシェがあって、納屋を覗いたら壁に道具掛けが作られてあった。黒い板のがそう。ちなみにに白いのは僕が以前作ったもの。発想が似ていると思ってドッキリ。
ちなみにそのおうちを借りているのが英語の先生だった。その符号にまたドッキリ。
今日はちょっと重い話になる。自殺について。
人が自分の意志で自らの命を絶つ行為。自暴自棄で酒と煙草に耽溺して命を落とすのも、僕は同じ行為だと思っている。
僕の人生の中でも哀しいかな多くの友人知人が自らの命を絶って行った。様々な苦悩が重なっての行為だったと思うが、最後の引き金になったのはお金の問題だったようだ。
親しかった方が突然命を絶つというのは、本当に辛い。借金苦で追い詰められるなら、自己破産と言う手段があるんじゃないかと、部外者は勝手に思うわけだけれど、プライドと言うものがそこに横たわる。
人は絶対脈絡もなく死んだりしない。僕は文学部と言う一番お金にならない学部を出ている。実は死にたいと思った時に、文学は抗うつ薬の役目をしてくれる。
誰だって長い人生の中で一度や二度は死ぬことを考えるものだ。ただ死なないのは、ある種の解決策を見いだしたから死なないのじゃなくて、生きる希望があるから生きるのだと思う。
文学は自殺を押しとどめる力になると書いたが、大正・昭和の多くの文豪が自殺をしたじゃないかとクレームが来そうだ。彼らは小説を書くとで、自分の生きる価値を見出してきた人たちだ。一方僕らは、そのぎりぎりの瀬戸際の文学を読むことで、あらかじめ死に対するシュミレーションができる。その違いは大きい。
道具置きの板を黒くするか白くするか。これは個人の嗜好性であると同時に、生きてきた過程で作られた感性だ。納屋の中に作るか、僕のように納屋の外に作るか、これも嗜好性の問題だ。
実はお金を稼ぐ能力も、同じように嗜好性の問題だと思っている。金持ちと貧乏って世の中が思うほどに重要なことじゃないと思う。
それぞれが経験する人生の事象くらいに考えればいんじゃないかな。お金が有れば幸福って思うかも知れないけれど、実は宝くじで億単位の高額当選者の自殺率が高いことをご存知だろうか。
人は脈絡もなく、行き当たりばったり生きているわけじゃないんですよね。
お金持ちであるよりも貧乏人であることの方が多くの学びがあると思う、貧乏人のかねごんでした。
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