隙間のない僕の晩年
一銭にもならないブログを15年間も毎日書き、昼間は高校の講師、そして夕方からは寺子屋の爺。ところでこの写真の風景は、自宅から塾に向かう途中の里山にあるお花畑。それこそ一銭にもならないのに、毎年ご婦人が手入れをして沿道に花を咲かせている。みなさんの心をなごましてくれる風景だ。
僕のブログはどうだろうか。分からないけど続けている。
続けていると言えば、夏の休日は甲子園球場ほどもある休耕田の草刈り作業。冬は薪割り作業。それ以外でやっているのは、母の介護と中学生の卓球の指導。納税組合長や共済部長等の地域の役職もやっている。
それに今年は築60年になる納屋の、DIYリフォームもやってきた。年を取るごとに多忙な日々を送る僕は、ほぼ病気だ。
公立高校を落ちて私立高校に行って、高校2年の夏から、大学入試に向けて中学1年生の教科書から勉強を始めたあの時の、自分を追い詰めて行く快感を覚えてしまった一種のトラウマに、還暦を過ぎた今、また絡め取られている。
じっとしていると、焦燥感を覚えるのである。受験に失敗した時の感情や心のショックがずっと引き金になって、僕は動き続けているのかも知れない。誰かに急かされているわけではないのだが、失敗が怖いのだ。
つまり僕は挫折を味わったからこそ、失敗を再びしたくないと言う気持ちを仕事にぶつけてきたのだろうと思う。
自分を客観的に見たら実にかわいそうなやつである。もっと楽な生き方があっただろうにと思うのだけれど、仕方がない。
公の付くものに対する僕の嫌悪感は本当にひどいものだった。公立の先生、公務員、公立高校や国立大学に対する敵対心をエネルギーにして僕は、20代をかけ抜けてきた。だからこそ20代で独立して今の塾を立ち上げることができたと思うのだが、その代償も大きかった。
今度誕生日が来て63になる僕は、上記のような暮らしを続けている。今は公に対する嫌悪感はない。違和感はあるけれど(笑)。
やがてやって来る終焉まで、きっと僕は走り続けて行くのだろうと思う。

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