こぼれた種が新たなドラマを作って行く
塾の駐車場に可憐な花が咲いた。これと同じ花が、塾の玄関前にある電信柱の根本にも咲いた。
隣家の花の種が風で飛ばされて、花をつけたのだろう。春の草花と言えば、パンジー・チュウリップ・水仙そして菜の花ぐらいしか知らない僕なので、残念ながらこの花の名前は知らないのだけれど、買ったら高そうな花だななどと考えている僕は風情のない人間のようだ。
花を愛でる習慣が僕にはあまりない。きっと花の咲く季節がやって来ると、草刈りが始まると言う現実を見せつけられるからだろうと思う。ため息しか出ない。来世があるとしたら、草刈りをしないで済む人生を選択したい。
庭先に妻が植えた草花をしょっちゅう刈り取ってしまう僕は、公道の土手に水仙やコスモスを植えている人を見ると、不思議な人種を見る思いだ。
それにしても放置された草花は強い。手入れをするわけでもなく、肥料が与えられるわけでもないのに、毎年見事に咲き誇る。一粒の種が自然に抱かれて根をはる草花。ほとんどの種が芽を出すことなく終焉して行く中で、芽を出した草花は枯れることもなく大地にしっかりと根をはる。
人はどうだろう。自然に抱かれて生きてきたと言うよりは、自然を淘汰して生きてきた。やっぱり無理がある生き方のような気がする。

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