夏目漱石『こころ』
自宅の裏山の山藤が満開を迎えた。この時期は桐の花も咲き、里山は怒涛のごとく春爛漫である。いやもう初夏の装いだ。
私立高校で現代文を教えている僕だが、今週3年生は夏目漱石の『こころ』を終えた。夏目漱石の作品の中では、かなり重い小説である。メインの登場人物が二人とも自殺してしまうこの作品は、国語教材としてはある意味教師泣かせの作品でもある。
なぜ自殺はいけないのか。恋に破れたくらいでなぜ命を絶ってしまうのか。天皇が亡くなったからと言ってなぜ殉職などという道を選択をするのか。毎年高校生から出てくるこれらのなぜの質問に、僕は熱弁をふるうのだけれども、どこかで冷めている自分がいないでもない。
夏目漱石はこの自分の作品が、高校の教科書に掲載されることなど夢にも思わなかっただろう。漱石が死をテーマにしたこの作品で読者に訴えかけたかったことを詮索しても、現代を生きる高校生には難しいだろうなと思う。
死は突然やって来る。死にたくないと思っている人の上にも、死を切望する人の上にも死は突然やって来る。
そこには哲学も方程式もない。家族や身内の、哀しみや驚きや諦観の中で、死は消化されそして昇華して行く。
小説の中の死も同様に、読み手の感性で昇華されて行く。若い頃は死をドラマチックに捉えがちだけれど、死の現実に接する度に、人は死にとりこまれそして死を共有して行く。
そういう意味では、夏目漱石のこころは高校生にとって、死を共有する入り口かも知れない。
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