最近同級生が亡くなって逝く
僕らは1960〜1961生まれの世代で、あと3年もすると高齢者と言うカテゴリーに分類される世代だ。
第二次世界大戦が終わって15年経過してうまれた。都会のことは分からないが、岩手の小さな農村はとても貧しく、そして諦観を身に纏った暮らしだった。
米作り以外にこれと言った地場産業がなかった時代故、うちも含めどこの農家も収穫が終わると父親たちが関東方面に出稼ぎに出かけた。
出稼ぎで稼いだお金で父はテレビを買い、そしてトタンで囲った鉄骨の藁小屋を建てた。60年も前の話だ。
この納屋を建てた頃の父と僕の写真がこれ。出稼で都会に出ることが多くなった父は少しづつ垢抜けていった感じがする。
60年間で2度ペンキを塗ったものの、トタンの錆は激しく、 蔓草がはびこり、雨漏りで内部の藁や材木は腐れ、朽ち果て始めていた。
その納屋のDIYを始めたのが今年の3月。父が建てて60年の年月が過ぎ、父が亡くなって33年の時が流れていた。
始めたきっかけは、昨年の暮れから立て続けに同級生たちが亡くなったことが一因だった。
僕が死んだらこの納屋はただ朽ち果てて行き、30年以上入れっぱなしの古藁や材木を片付けるのは、息子たちには難儀の仕事。僕がまだ元気なうちになんとかしようと妻と始めたプロジェクトだった。
29歳で塾を始めた時も、教室の壁を塗ったり、あれやこれやとプチリフォームを自分でやったのだけれど、その時以来の大仕事かも知れない。
同級生の告別式に出かけて行って思うことは、なんと人生というのは長くてそして短いのだろうということだ。
さりげない毎日が、多くの思い出を紡ぎ、そして消えて行く。
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