身体を鍛えることは頭を鍛えることと同じくらい大切
オヤジにもおふくろにも、勉強しろと言われたことは一度もないってことを、かつてこのブログで書いた。
それどことろか、夜遅くまで勉強していると、電気代や灯油代がかかるから早く寝ろと怒られた。確かにある意味理にかなっている経済観念だ。
当時はドラマ缶で灯油を買っていたけれど、今の金額で言えば一冬1万円くらいで済んでいたはずだ。お風呂は薪で沸かしていたし、こたつは煉炭だったしね。
現在はその30倍はかかっている。光熱費のために働いているようなもんだね。
先日から恒例の草刈り作業が始まった。納屋のリフォームと同時進行になってちょっと疲労困憊。しかし疲労困憊がちょっとで済んでいるのは、若い頃から身体を鍛えて来たおかげだと思っている。
そういう意味では両親に感謝しているね。勉強に対してはノータッチの親だったけれど、農作業や力仕事はバリバリ手伝わされた。重たい耕運機の運転も小学5年からやっていたもんね。おかげで小学6年生で握力が50あったからね。て言うかそのくらいの握力がないと、発動機の手回しエンジンは始動出来なかった。
還暦を過ぎて朝から晩まで教科指導をこなし、空いた時間で農作業をやり、休みの日は卓球の指導と各種役員の仕事をしている僕は、自分で言うのもなんだが、病気だよね。かなり重症の働き病。
まあでもそれで精神のバランスが取れているので、良しとするか。
若い頃身体を鍛えることは大切なことだったなと、爺いになって実感するかねごんであった。

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