生きて行くための糧が勉強で得られることを知っている人
昔の人たちは生きて行くために命懸けで狩猟をし、時に村や家族を守るために征服者と戦った。
百姓も漁師も自然と格闘しながら生きる糧を得てきた。そして現代社会は、生きるために学力を身につけ、資格を手に入れ、給料と言う名の糧を得て生きている。
誰もが農家や漁師ではなく、給料を得て暮らす生活を望む。当然と言えば当然。肉体労働や自然に左右される仕事を望まない。そこでその希望のために学歴や資格を多くの人たちが望む。そのために俗に言ういい学校を目指す。
過酷な自然状況の中で寒さや暑さと闘って仕事をするよりは、空調の整った快適な空間で仕事をする方がいいに決まっている。仮に同じくらいの収入なら断然後者を選ぶだろう。
肉体労働の仕事は、学歴社会から弾かれた人たちの仕事と位置づける現代人。建前上は仕事に貴賎の区別などないと言うけれど、世の中の人々の心理は違うようだ。
僕は先生と呼ばれる仕事をしてはいるが、バリバリの肉体労働者でもある。重たい草刈り機械を操作するゆえ、62歳になった今でも握力は55。たまに生徒の前で、硬いスチール缶を片手で潰して見せたり、やめればいいものの、授業中に3本指だけで腕立て伏せの連続技を披露したりする。
先生何か格闘技でもしているんですか?そんな質問が高校生から発せられる。確かに怪しい髭を生やした爺い故、生徒たちも想像が膨らむのだろう。卓球をやっていると答えると見事に転ける生徒たち。
農家や漁師で年収がものすごい人たちを知っている。職業に関係なく、生きて行くための糧が勉強で得られることを知っている人は、何をやっても頭角を現す。
楽をしようと学歴や資格を目指すものは、残念ながらそれ以上先のピジョンが見えてはこない。勉強もしない。居酒屋で上司や会社・組織の愚痴を言いながら、人生の時間が過ぎて行く。
僕はそうなるのが嫌で、農業と塾の二刀流を目指したのだけれど、残念ながらまだまだ勉強が足りないようだ。
当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
« そろそろ卓塾とでも名前を変える? | トップページ | 何気ない一言が »
コメント