知ると言うことはどうしても大変さが増すけれど
梅の花が満開になった。昨年梅の木の剪定をしたのだけれど、やはり花の咲き具合が違う。松の木同様梅の木も剪定が必要なようだ。またこれで仕事のルーティンが増えてしまった(笑)。知らない振りをして放置しておくことが出来ない性格なので、困ってしまう。
古い薪ストーブをいただい時に、煙突を自分で設置したのだけれど、数十万円もするような煙突でなくても、数千円の煙突で十分煙がはけて火事にならない燃焼を保てることを知った。その代わり週1の煙突掃除がルーティンとして加わった。やっぱり知ると言うことはどうしても大変さが増える。
知らなければそれで済むものを、知ったが故に行動に起こさざるを得ないと言う日常はどう言うことだなんだろうと、ふと考えるかねごんであるが、つまりこれが貧乏性というものなのだろう。
僕は毎月朔日参りを行う。簡単に言ってしまえば、毎月1日の日に神社に行ってあ〜でもない、こうでもないと、神社の神様にグチをこぼしたり、決意表明をしたり、時によってはおねだりしたりして帰って来るのである。言ってみればこれもルーティンだ。
神社に行って何かいい事があるの?そんな疑問をお持ちの方もいらっしゃるだろう。そうだな。このルーティンを始めて30年近くになるが、風邪をひいて仕事を休むことがなくなった。冠婚葬祭で塾を休むことはあるが、自分が体調を崩して仕事を休んだことはない。
私立高校の講師を10年以上やっているが、自分の体調の悪さで授業を空けたことは一度もない。自称プレアデス星人だけあって、その辺りは譲れない(笑)。
知らないことは幸いだという人もいる。でもねせっかくこんなハラハラドキドキの星に生まれたのだから、どんどん知って未知なる世界にアクセスしてみようぜ。
金にならないことには興味がないって人。死んで持って行けるものは経験値と感性だけだよ。現金も通帳もあっちには持って行けないからね。
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