鎮魂
昨日の三陸の海は雨が時折降る天気だったけれど、お昼頃には日差しが差して、春らしい陽気になった。
当たり前のことだけれど、3月11日は毎年やってくる。あの日亡くなられたたくさんの方々の想いを受け止めて僕らは生きてきた。
未曾有の大災害を目の当たりにして途方に暮れた日々、欠落してしまった何かを取り戻そうと生きてきたけれど、この12年間でいまだ見つけられないでいる。
物事の道理を的確に捉えようとしても、感情がそれを遮断する。なぜ?
ありふれた日常が喪失してしまう瞬間、個々人の思い出も、これからの未来も考えるすべはなく、立ち尽くしてしまう。
生きていれば見えて来るはずの将来も、生きていれば感じるはずの痛みも、なくなってしまった同胞の現実にどうすることもなく、ただただ傍観する人生に引け目を感じ、鎮魂の祈りを捧げる時、こぼれ落ちて来る涙は悲しみよりも後悔だ。
今僕らが歩んでいる道は正しいのだろうか。今僕らが進んでいる社会は間違ってはいないだろうか。
残された人間が不幸で、逝ってしまった人たちが幸いだったのではなかったのか。そんなことを考えてしまうような日常では決していけないのだけれど、我々の生きる道は平坦ではない。
しかし、僕らはその覚悟で生まれてきたはずだ。たとえ地球が滅亡しようとも、我々は我々であり続けるし、あり続けなければならない。
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