やっぱり神様は居て欲しい
今年度の受験も終了した。在籍した生徒たちは全員合格したと言っても、一関一高附属中学が1.5倍の倍率だっただけで、岩手県内の公立高校入試のほとんどが定員割れだった。大学入試は推薦入試がメイン故、合格を勝ち取った生徒たちも笑顔の安堵ではあったが、WBCで優勝した侍ジャパンほどの歓喜ではなかったようだ。
かつては合格発表で自分の番号が見つかると、そのまま高校からダッシュで塾まで駆けてきて、歓喜する生徒が多かったが、震災以降はそういった光景はなくなっている。
こんな大変な世の中で、自分の喜びをダイレクトに出すことが不謹慎みたいな空気感があるのだろうか。なんとなく寂しい合格発表だ。
塾の指導室に僕がDIYで鎮座させた神棚がある。かつては受験が近づくと、生徒たちがよく手を合わせて祈っていたが、近年は僕以外手を合わせる人はまれびとになった。新型コロナで奪われた青春。理不尽な侵略戦争。宗教団体がらみの元首相の暗殺。
神様に、もはや頼ることすらしない若者たちが増えている。お願いしたって無駄じゃん的な声なき声が聞こえてくる。ちょっと哀しいかな。いやかなり哀しい。
神様なんていないと言われれば、この老いぼれ爺いは反論するすべはないのだけれど、やっぱり神様はいると思うし、いて欲しい。
昨日の決勝戦の最終章を見ても分かるように、あんなドラマを演出したのは、野球の神様だろうと思う。
神様に祈ることに、宗教は必要ないし、まして学歴も社会的地位も全く必要ない。お布施を強要される神などいない。当たり前のことが当たり前でなくなってしまった現状に、多くの人たちが疑心暗鬼になってしまっている気がする。
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