勉強を好きな生徒はあまりいないけれど、勉強が出来た方がいいと思っている生徒はいっぱいいるんだよね。
日常性から脱却できるのは、曲を書いていたりライブなんかをやっている時かな。草刈りをやったり、薪割りをしている時ではないな。^_^
そのライブも新型コロナが拡散してからというもの3年以上ご無沙汰で、日常性からの脱却がままならず、ストレスもマックス状態だね。やっぱり人間は働くことだけでは、精神がくたびれるからね。
前回も書いたけれど、子どもの頃から文章を書くのが好きだった。その延長線で、中学生の時から詩のようなものをしたためて、それに適当なメロディーをつけてギター片手に歌っていた。音楽は現実逃避の手段と言うか、僕の精神が崩壊するのを救ってくれたね。本当にあの頃はいろんなことがあったからね。卓球の部活とギターを弾くことが生き甲斐だったね。僕の勉強も崩壊していたけれど、そのおかげで今の仕事が出来ている気がするね。
勉強を好きな生徒はあまりいないけれど、勉強が出来た方がいいと思っている生徒はいっぱいいるんだよね。家の環境が勝負どころだよね。僕らは根性とか精神力なんて言葉を浴びせられて育った世代だけれど、根性と精神力だけじゃ勉強はうまくいかないだよ。
いい辞書もなくちゃいけないし、分かり易い参考書も欲しいしね。教科書だけで理解できたら学校なんていらないもんね。教育にお金がかかることくらいガキでも知っていたよ。
中学時代学年上位の連中は、親が教師とか公務員とか農協職員とか商売を手広くやっているおうちの息子とかがほとんどだったよね。運動会なんかあると、重箱にお寿司とか作って来るおうちね。我々農家の倅は、親たちは貧乏暇なしで運動会なんてちょうど農繁期で来るわけもなく、教室でおにぎりをほうばっていたね。てが、運動会なんか日曜にやってないで農作業を手伝って欲しいくらいだったと思うよ。
うちの寺子屋月謝が安いんだけど、僕の原体験がそうさせているだろうね。貧乏人は勉強するな的な暗黙の風に、負けないで欲しいんだよね。親も子どもも。「教えない放題」なんてふざけた看板を出しているけれど、生き方はしっかり教えているつもり。かな。^_^
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