稲作農家を25年してきたけれど
30歳の時から55歳まで寺子屋を営みながら稲作農家をずっとやっていた。過去形で書いたのは、母の介護が始まったのを機にやめた。やめたと言っても休耕田の草刈り作業は継続中なので、農家を廃業したわけではない。
我が家の前の道路は花泉瀬古杯マラソンのコースになっていて、大会の日は多くのランナーが駆け抜けて行く。写真に写っている田んぼは6年前まで僕が田植えをしていた田んぼだ。走っているコスプレランナーはちなみに見知らぬ人(笑)。
農家は儲からないと言われるが、正確に言うと稲作農家が儲からない。ナスやイチゴや畜産農家はかなり儲かっているらしい。ちなみに我が家の田んぼの広さは甲子園球場のフィールドくらいあるんだけれど、経費を引いた利益は1年間働いて、塾の売上の2ヶ月分にもならなかった。かと言って塾が儲かっているわけでもありません。残念。
稲作農家をやめて心がずきんときたのは、初めてお米をスパーで買った時。農家の倅が米を買うのか〜と言う罪悪感。ご先祖様に申し訳ないのようなそんな気持ち。
農家の長男坊がいきなり寺子屋を始めたと言うことなんだけれど、実は明治になって学制が敷かれた時に、我が家の座敷が小学校の仮校舎だったらしい。妻が座敷でシュタイナー教育を取り入れたアトリエ『風と虹』をやっているのも、僕が一関の町で塾を営んでいるのも、歴史の因縁めいたものを感じるこの頃です。
冬は寒くて大変だけれど、草刈りがないぶん楽。ゴールデンウイークを過ぎた辺りから日々の草刈り作業が始まる。塾もそうだけれど、休耕田の草刈り作業もいつまで出来るかだな・・・
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