誰かが描いたシナリオ通りに生きるなんてまっぴらごめんだね。
神社オタク故に御父兄や知人に神社のことを質問される。神社オタクと言っても知っている神社の範囲は宮城県北から岩手県南限定なので、ローカルな知識だけなわけで、誇れるものでもなんでもない。
神社を建立した昔の人は、現代人とは違った感性を持っていて、夢枕に神様が立って、あそこに神社を作れ的な超常現象を経て建立されたものがあったかも知れないし、巫女さんみたいな人が幻視を見て、神宿る山として神社を建立したのかも知れない。
生きて行くことが今よりずっと困難だった昔、自分の人生に無常感を覚えた人は多かっただろうし、常に諦観の中で、自分の生活をただただ維持して行くことにいっぱいいっぱいだった人たちが多かっただろうと思う。
自分の人生を自分の思いのままに生きることは、実は昔も大変だったろうけれど、今も大変だ。劣悪な環境の中でもがき苦しむ人もいれば、普通の日常の中で意図しないまま夢や希望までもが剥奪されてしまっている人間もいる。
例えば大学に行きたいんだけと言ってきた息子に、大学?働いてお金を入れて欲しいのに何言ってんねん。と言う親の一言で夢を諦めてしまう若者がいる。
あんた長男でしょう。早く田舎に戻ってきて親の面倒をみなさいうよと言われて、道半ばで生活が激変してしまう人たちがいる。
人は夢が挫折しそうな時、なんとかしようと頑張る人と、諦める人がいる。僕は頑張る人というのは祈りの人なんだろうと思う。
祈りを想像力と言ってもいいかも知れない。親や教師や社会の通念で生きて行くことはひょっとすると簡単なことだけれど、自分を創造できない生活ほどつまらないものはない。
健康であることが一番。3食のご飯が食べられて幸せ。帰る家があることが何よりのこと。そう言ったフレーズで本当は満足する人なんていない。納得させる人はいるかも知れないが。
僕は苦しい時、神社の神様に祈ってきた。過去形で書いたけれど、今もずっとそうだ。自分が何をやりたいのか、自分がどう生きたいのかを神様に告げることで、自分に責任が持てる。僕らは誰かが描いたシナリオで生きているんじゃないんだよね。
当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
« もうこの星に転生などしたくないね | トップページ | 米川の水かぶり »
コメント