この世を去るタイミング
年末に同級生が亡くなった。これで中学校時代の親しかった友人が20名ほど向こうの世界に行ってしまった。
世間の人たちはまだまだ若かったのにと嘆くわけだけれど、どうも去るタイミングというのは本人が決めているいるような気がする。
残された家族が大変ということを世間は言うわけだけれど、居なくなれば居なくなったで、家族はそれなりに逞しく生きて行く。それが生きるってことだろうと思う。
実は母親が倒れて以来、6年間介護生活をして来た。体調によって手のかからない時期もあれば、めちゃくちゃ大変な時もある。認知症は季節や寒暖の影響でも左右されるようで、いろいろと大変だ。
母がくも膜下出血で入院した当時、元気だった叔父叔母達の方が母より先に旅立って逝ってしまった。人生は分からない。
ある意味母には感謝している。長い介護生活ではあるが、親孝行をさせてもらった。母がいつ逝っても悔いがない日々を過ごさせてもらったことに、不思議な安堵感みたいなものを覚えるこの頃だ。
母は現在の僕の仕事も分からない。毎朝僕にコーヒーをねだるので喫茶店のマスターだと思っているかも知れない(笑)。母も父と死に別れて早33年。寂し思いもして来ただろうけれど、大家族の中で暮らせて来たことに、喜びもあるのではないだろうか。
人は生まれて来た限りに於いては、誰もが100パーセント死を迎える。あっちの世界に行くタイミングがあとは一世一代のエンデイングということだろうね。
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