ほぼほぼ病気である
道路を走っていて神社に遭遇すると、神社名と祭られている神様が気になってしょうがない。ほぼほぼ病気である。
自他共に認める神社オタクである。神社愛がここまで来ると、さすがに神様も呆れているのだろうか、あり得ないような偶然や奇跡としか思えない現象を見せてくれることがある。
このブログは基本的に塾ブログなので(笑)、あまり怪しげな話は書けないけれど、間違いなく神様はいらっしゃるようだ。
目に見えないものへの畏敬とでも言えばいいだろうか、人間の営みに関与する存在と言うものが良くも悪くもあるようだ。神様も悪魔も同じだと言うつもりはないが、神仏の善悪と人間界の善悪には微妙な隔たりがあるように思える。
我々人間は死を忌み嫌うけれど、神様の世界では、よう頑張ったな〜なんて感じで、死そのものがあっちの世界では現世で言うところの誕生のような扱われかたをするらしい。
そうなって来ると、古事記で語られる常世の世界観はちょっと違って来るけれど、まあいっか。
中森明菜の歌に、出逢いはスローモーション♫なんて歌詞が出てくる歌があったけれど、人との出会いや神仏との出合いはまさにスローモーションのようだ。この出会いはちょっと違うなと感じた時に、まるで映画のスローモーションのごとく何かが覚醒する。
僕は東京で、現在僕の奥さんになっている方(妻)と出会った時もそうだったし、この塾業界に入る時も、不思議な導きがあった。
人は逢うべくして逢うべき人に出逢い、そして偶然を装った神様の導きで自らの計画した人生を歩んで行く存在のようだ。
ゆえに自分の人生を否定する言動や行為は、一番神様から遠いところに自分を置くことになる。僕が肝に銘じていることでもある。

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