六芒星顛末記その4
青森の旧戸来村に行ってイエスキリストのお墓を見に行った時に、色々と知り得たことがあった。遠い遠い昔、ヘブライ語を話す民がこの地にやって来たこと。故に日本語の日常語の中にヘブライ語を語源とする多くの言葉があること。戸来村では、魔除けとして六芒星の紋様を玄関に飾る習慣があったこと。つまり旧約聖書を信奉する人々が東北の地にいたということだ。
阿弖流為の顔を模したお面を見たことがある人は分かると思うが、あえて彼らと言おう。鼻が大きく、彫りが深い西洋人のような顔立ちである。
蝦夷として中央政権から蔑まられた彼らの血の中には、ヘブライ人のDNAが古代の記憶と共に偏在していたのかも知れない。
飛鳥時代、聖徳太子が信奉したと言われる維摩教が聖徳太子の仏教感の原点になったと言われているが、実は維摩教は旧約聖書ではなかったのかと言う説もある。
キリスト教系の大学で聖書を学んだ僕が、神社や磐座に興味を持ち、六芒星を世に公表したのも、偶然じゃないような気がしています。
六芒星顛末記にお付き合い頂きありがとうございました。

当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
« 六芒星顛末記その3 | トップページ | 六芒星顛末記おまけ »
コメント