六芒星顛末記その1
2年前の六芒星騒動も鎮静化し、新聞や週刊誌の取材も一切無くなり、六芒星神社に連れてってと言うリクエストもほぼほぼやって来ない日常になりました。
一関から平泉にまたがる六芒星神社は、大陸由来の宗教色がバリバリ感じるんですよね。そもそも六芒星神社を探す意図などこれっぽっちもなかったんですよね。
鎌倉時代に書かれた吾妻鏡の中に、平泉には神社で作った結界があると言うフレーズが出て来るんですが、昔の資料をもとにそれらの神社を巡っては見たもののどうもピンとこない。そもそも結界ならば、おいそれと公表などするはずもなく、義経がきた後の鎌倉との緊張感を考えると、この結界なるものはフェイクで、ひょっとすると平泉近辺に本物の結界が施されていたのではないのかというのが、僕の妄想の始まりでした。
藤原清衡のルーツは安倍氏ですが、安倍氏が大切にしてきたのがアラハバキの磐座の神。その磐座のある神社をたまたま線で結んだのが綺麗な六芒星の神社と相成ったのですが、中央に鎮座するのが東北で一番古いと言われている配志和神社。この偶然の形にざわめきを感じたのは言うまでもなく、当初は何かやばいものを公表してしまったのじゃないかと、ドキドキでしたね。(続く)

当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
« 雪は降る〜♪ | トップページ | 六芒星顛末記その2 »
コメント