あれは3年前
3年前の今頃だった。磐井川の土手上を龍神さんが慌てたように飛翔していた。そして世界が震撼した新型コロナの大流行が始まった。
東日本大震災の時もこのような龍神雲が現れた。
何かを警告していると言うよりは、龍神さん自身が必死に働いている感じ。目に見えない敵と戦っている姿のように僕には思えた。
人間と言うものは目に見える物を信じるけれども、世の中には視覚で捉えられないけれども、実は我々の身近に存在しているものはいっぱいある。
俗に言う運が良い人というのは、そういう目に見えないものの援助を受けやすい体質の人なのかも知れない。
世の中を観察していると、神様ごとが好きな人には二種類の人がいるようだ。不幸な人とちょっと不幸な人。
本当に幸せな人は、例えば神社に行って幸せになりますようにとか、お金持ちになりますようになんて願ったりはしない。不幸だから幸せになりたいのだし、貧乏だからお金が欲しいのである。
僕もお金や仕事や健康に不自由していなければ、神社オタクには間違いなくならなかっただろうと思う。29歳で祖母と母と妻と息子を守っていかなければならない状況になった僕が、神社の神様に頼ったのは、この年になって振り返ってみると、必然的な運命だったんだろうなと思う。
神社への興味が、縄文弥生時代から崇拝されてきた磐座に移行して行くのに時間はかからなかった。大自然のなかで我々人間は無力だ。その無力さを癒やしてくれるものが神の存在だったろうと思う。
そしてその古代人たちの感性と癒しを求める精神性は、現代まで途切れることなく続いている。僕は磐座を前にすると、人類の弱さと刹那さになぜか胸がキューンとしてしまうのだ。
弱者に寄りそう存在と強者を後押しする存在。僕は前者にどうしてもシンパシーを感じてしまう。だから40年も塾教師をやってきたんだろうなと思う。
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