自分を見つめる
自分の才能の無さに気づくのが遅かった。出来る人間がどれだけのレベルかを知らないで、田舎の山中で育ってきたので、世の中の凄さに気づいた時は愕然とした。
ある意味東京という大都会に出たのは、絶望感を味わう絶好の機会だった。そしてその絶望感から脱却することが、とりあえず僕の目標みたいなものになったと言っても過言ではない。
中学・高校・大学と遊び呆けた僕に待っていたものは、必然的に過酷な生活だった。子どもたちに教える立場の人間になるために僕は社会人になってから勉強を始めた。
英語も数学も社会も理科も、小学校・中学校の教科書からやり直しだった。10年の歳月を費やした。そして30歳で学習塾を始めた。
儲からない仕事だと気づくのも遅かった。農業の収入も雀の涙。昼間にバイトをしてなんとか教室を維持する状態だった。そしてそれは30年経った今も変わらない。
人が寝ている時に起き出し、そして人が寝る時間まで働いた。過去形で書いたが、実は60を過ぎた今もその生活は続いている。ブログ上でそんな生活を自慢するためにこんな話をしているのでは無くて、事実を単に語ることで、自分を鼓舞している。そうでないと自分がめげそうになるからだ。
裏庭が紅葉の絨毯のようになった。癒される風景だ。実はこの裏庭の整備こそ、僕が実家に戻って始めた最初の大仕事だった。
石宮は鬱蒼とした藪に埋もれ、物置小屋が蔓に巻かれて放置されていた。農家の長男である僕が、都会に出た後の我が家は大変だったろうと思う。身体が丈夫でない父が一人で農業をやっていたものだから自宅周辺の掃除にかまっている暇などなかったはずだ。
父が56歳という若さで他界してしまったのも、僕の我儘が原因だったのかも知れない。その分認知症になった母を介護させてもらっている。とうちゃん許してねっていう感じだね。
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