何処かに忘れてきたもの
先日地元新聞の慶弔欄を眺めた時に、命のあり方みたいなものにふと思いが行った。
亡くなった方が20名ほど記載されていたのだが、そのうち5名が60代前半の方々だった。僕と同世代の方々だ。
高度経済成長が終わり、バブル後の大変な時代を生き抜いてきた世代だ。年金を貰うことなく、老後をパスして他界して行く言わば同時代を生きてきた戦友に思いを馳せた。
晩年の3年間、新型コロナもあって、退職金を手にしても海外旅行どころか、国内旅行もままならなかったはずだ。最後は耐え忍んだ人生だったと思う。
人生は楽しむためにある。僕はそう思って生きてきた。楽しむために働いてきたと言っても過言じゃない。故に自分の楽しみを阻害するものとは、何度もぶつかってきた。それが時に学校の先生であったり、上司であったり。世間であったり。
サラリーマンには全く向かない性格、精神性ゆえ、ずっと一匹狼の人生を歩んできた。妻には随分と苦労をかけてきてしまった。
来世はあるかも知れないが、今生この名前でこの顔で、この時代を生きて行くのは間違いなく一度きりである。何をためらうことがあるだろうか。自分が信じた道を歩まずして、真の人生はない。
もし何処かに忘れ物をしてきたならば、過去の扉を開けて探し出せばいい。錆び付いて色褪せてしまっていたら、磨いてワックスをかけ再生すればいい。いつでもどこでも大丈夫だから。
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