不登校という表現がそもそもね
学校に行きたいのに行けない状態と、学校に行きたくなくて学校に行かない状態を一緒にして不登校と呼んでいることがそもそも間違い。
ちなみに本来の不登校の定義は、病気や経済的な理由といった特別な事情がなく、年間の欠席が30日以上の状態と文科省は定義していますね。
この文脈からすれば、うつ状態やなんらかの精神疾患を患っている生徒の不登校は不登校じゃないと言うことですよね。
学校に通わなくても、勉強する環境が確保されている生徒はいいのでしょうけれど、学習する機会を奪われている児童、生徒の支援は絶対必要です。不登校という言葉で一括りできない現状がそこにありますね。
不登校に陥入る要因は大きく分けて3つあります。1つは先生や同級生との人間関係におけるストレスですね。なにげない言葉や態度が引き金になって朝登校出来なくなるケース。繊細な子どもたちが多いだけに増えています。
2つ目はイジメによるもの。これが一番生徒にとっては辛いですよね。イジメは社会の縮図と言われますが、格差社会の象徴と言うよりは、ストレス社会の病理現象だと思います。自分の世界を構築したいという欲求に於いて、他人の痛みを想像する感性と力が欠如している子どもたち。大人もそうですね。
そして3つ目が学力不足による授業拒否ですね。宿題が出来ないので学校を休むというのがこれに当てはまります。基礎力がないので授業もついて行けません。部活や友達がいるから学校に行くという生徒はいいのですが、やっぱり勉強がわからないのは辛いですよね。
これらによって引き起こされる反応は10人いれば10人全部が違うわけですが、家庭内のトラブルや経済的困窮も複合的な要因になっていますね。
40年教育の仕事をしてきましたが、不登校の問題は一筋縄ではいきません。学校がつまらないという声を聞きますが、それって学校の先生が忙し過ぎて余裕がないのかなって思います。
宿題プリントの作成や職員会議、学級通信、部活動の指導、定期テスト、通信簿、願書の作成、修学旅行や運動会、文化祭の準備指導。不登校の生徒に対応してくれないという意見を聞きますが、物理的に無理ですよね。はっきり言えば、どこかで手を抜かないと病気になります。本来の教科指導が困難になって、個別の対応ができていないのが現状です。
もっとシンプルに生徒に向き合える教育現場の構築が必要なんですが、先生方もめちゃくちゃ管理されていますからね。大変です。学校に通うというシステムそのものが将来はなくなっていくのかなと思いますが、多様化する教育に先生も多様化されて行くんでしょうね。
昔不登校なんていう言葉があったねなんていう時代がくることを切に望みます。
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