書き続けることの意味
14年間毎日ブログをアップしてきた。13年間パソコンで打ち込んできたこのわくわく日記も、昨年からはスマホで打ち込んでいる。
何が変わったかといえば、街で見かけた風景だとか、ふと湧き上がってきた感情みたいなものを、メモ的にこのブログに残せるようになったことで、改めて毎日のテーマみたいなものを考えることがなくなった。行き当たりばったりというスタンスで書いている。
僕の書くスタンスに変化が起きたのは、実はそれだけじゃない。昨年半年間書いた新聞への評論が、いろんな意味で書くことの楽しさと難しさを僕に実感させてくれた。
子どもの頃算数は苦手だったけれど、作文を書くことは好きだった。一人っ子で遊ぶ兄弟もいなかったので、本を読む時間が多く、妄想癖がついて、その妄想を文字にすることで快感に感じていたふしがある。
そう文章はいろんな意味で読み手に妄想を与える。かっこよく言えば想像力だ。意図したことが正確に伝わることを願って書かれた文章でも、その半分も伝わらないことがある。それどころか真逆に咀嚼され、自分の書いた文書が相手に殺意さえも喚起することになることだってある。まさに危険な妄想だ。
そんな危険を冒してまで、一銭にもならないブログやSNSを発信する理由があるのかと言うことなわけだけれど、正直言ってかしこたる理由なんてないね。
10年以上も毎日書き続けてくると、やめられない止まらないかっぱえびせんみたいなところがあって、一種の中毒だね。先程一銭にもならないと書いたけれど、2年に1人ほど、先生のブログ楽しみに読ませていただいておりますなんていう方がいて、お子さんを塾に連れて来るご父兄がいらっしゃる。そんなことを言われるとますますやめられない止まらない(笑)。
フェイスブックやInstagramはいいねを押してもらうと、どんな方が閲覧しているのか見てわかる。しかしこのブログに関して言えば、いいねを押していただいても誰なのか一切わからないし、コメントを頂かない限り反応がわからない。故に書き続けて来れたのかと思っている。
妄想癖に加えて孤独壁も兼ね備えている僕にとって、このブログは見えない他者と繋がる精神安定剤とも言えるかも知れない。14年間で400字詰め原稿用紙に加算すると、1万枚以上の分量を書いてきた。膨大な時間をこのブログに費やしてきたことになる。
ぼちぼ自分の職業を塾教師からブログライターに変更しようかな。爆笑
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