松は主人の生命とリンクするのかも
教室を借りる時に、教室の横に立っている手入れの行き届いた巨木の松があって、それが気に入って物件を借りた。松下村塾みたいでいいな〜という洒落である。
大家さんが大切にしていた松で、春と秋に植木屋さんがやってきて剪定をしていた。実はその様子を盗み見て、自宅庭の松の剪定をやるようになった。写真の松だが僕が剪定をするようになって30年ほどになる。
この松は父が山から掘ってきて移植したものだったが、父が亡くなった時は誰も剪定することもなく、つる草が生い茂り枯れかかっていた松だった。それを僕が再生させた。枝振りが自分で言うのもなんだがダイナミックな松になった。
実は6年前に大家さんのご主人が亡くなって、教室の隣にあった松が突然枯れた。本当に突然だった。
そして2年前に近くの同級生が亡くなったのだけれど、彼が亡くなってすぐ、門口の松が枯れた。偶然の符合にざわつきを感じた。
ひょっとすると、庭の松というのは主人の生命とリンクしているんじゃないのかと思うようになった。ということは、僕が死ねば家の松も枯れるのだろうか。
そう言えば長男が、庭の植木類は剪定が面倒だから、自分の代になったら切り倒すって言っていた(笑)。
まあそれもいいんだろうな。手入れをせずに家が鬱蒼とした森に覆われるよりはね。
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