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2022年8月31日 (水)

授業を聞いている時間は苦痛だった

毎日中高生と接していて思うことは、生徒たちが持っているそれぞれの想い、価値観と言ってもいいだろうけれど、学校に対して望んでいることと、実際の学校生活には大きなギャップがあるんだろうなということである。子どもたちはきっと学校では言えないだろうなということを、僕の寺子屋に来ると喋りまくる。もちろん僕が誘い水となる話題を持ち出すからなのだけれど。

みんなずいぶん我慢しているんだろうなと思う。僕も学校、いや学校の教室に座って、40分の1の存在として授業を聞いている時間は苦痛だった。学校での楽しみは給食(弁当)の時間と部活の時間だけだったな~と思う。現在教師をやっている立場の人間とし、どうして学校はつまらなかったのかと考えるんだけれど、やっぱり興味が無いことはつまらないよな~という一語に尽きる気がする。

日常生活を生きてうえで本当に必要な能力は、小学校の計算力と漢字の読み書き能力で事足りる。中学や高校での学びは、高校進学や大学進学及びある種の資格を得ようとする以外はおまけみたいなもので、高校くらいは終わっていないと仕事に就くのが大変だもんね的な高校生が多いのが現実だ。

一番大切なのは生活していく糧をどうやって得るかってことだろうね。

負の連鎖という言葉がある。お金に苦労する家庭は、何世代に渡って経済的に恵まれない。一方財力がある家は、それなりの豊かさを継続出来る。

お金を維持するために、もしくは豊かであるためにどのような学びを与え、何を学ぶべきかを掌握している家庭と、そうじゃない家庭があると言うことだ。躾という言葉は好きじゃないけれど、豊かになるものは豊かになるべき躾を施されて育つ。

ダラダラとテレビを観て、ダラダラとゲームをやって、ダラダラと寝ている生活からは、豊かな生活はやってこない。昼間のパチンコ屋さんを覗いて見て欲しい。そういった延長線上の生活の中で大人になった方々が虚な目をして座っている。

親が自分の子どもの能力を見極め、どのような方向性にもっていったらいいのかを見定める能力があるかないかで子どもの将来が左右されて行く。実に恐いことだと思う。

3歳までに脳の働きの80%が完成し、小学校の低学年でほぼ脳の90%の能力の基盤が出来ると言われている。家庭での暮らし、つまりは家族の接し方、言葉、視線、感情の在り方で子どもの将来の種が培われ行く。

自分の幼少期を振り返る時に、僕は幼稚園に行くこともなく、野山を駆けずり回っていた自分と出逢う。今の感性に多大な影響があるんだろうな。


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