美の究極
僕がよく訪れる市内中里のスクナヒコ神社の拝殿。そこには現生と神住まう境界の美とも言える静謐感が漂っている。
きらびやかな装飾があるわけでもなく、ただただ質素な空間の中に、いにしえ人たちの祈りの残像が時を紡ぐ。
神を意識するということは、言葉を変えれば神を内在することに他ならない。正義とか邪神とか我々は勝手に判断するけれども、人間の思いなど神の前では単なる戯れでしかない。一瞬の人生を俯瞰するする時に僕らが気づくものは、神の偉大さではなく、同胞である神の優しさではないだろうか。
古今東西の哲学を読破しようとも、世界宗教の書を紐解いても、その知識の向かう場所は残念ながら神の懐ではないようだ。一見無駄と思えるような日々のルーティンの中にこそ、神聖なる神の息吹が感じられるものだ。
どこまでもどこまでも走り続けなければならない人生だけれど、必ず終焉は訪れる。その人生に同伴してくれた守護神に、感謝ができる人生ならば、間違いなく人は終焉の美を迎えることができるのではないだろうか。
蝉の声が響きわたる境内の中で、僕はそっと目を閉じて神に祈る。
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