なぜ自殺はいけないのか
学生時代の友人や親戚、そして仕事でお世話になっていた方が自殺をした。ショックだった。
僕なりに彼らの死の理由を考えたけれど、僕なりの回答は出てこなかった。お金のこと。家庭のこと。健康のこと。厭世観のマックスに至る背景が見えてこないのは、僕が幸福だから?ちがうね。
僕も自殺を考えたことはある。でも死ぬことはなかった。なぜか。希望があったからだ。ドツボでも希望があったから生きてきた。お金が無くても仕事が無くても希望があれば生きられる。
僕は弱い人間だから神仏に頼った。どうか僕に生きる希望を与えてくれと。そうしたら家族が出来た。妻とこどもの為に生きる生活が始まった。もうそれからは僕の心の中に死は忍び寄っては来なかった。
だから苦しくなった時は、僕は自分を見ないで家族を見た。自分のためだけに生きるのは大変かも知れないけれど、誰かのために頑張ることはできる。だから人は誰かのために生きた方がいい。
人の為に生きる。このキーワードがひょっとしたら自殺をしてはいけない理由のひとつかなと僕は思っている。いや表現を変えよう。自殺を押しとどめるキーワードだ。
僕は受験に失敗した時に絶望した。だから僕のような絶望感を若者に与えてはいけないと思って、バイトで始めた塾教師の仕事を本業として継続することを決意した。毎年毎年受験指導をして、受験生を助けて、そして自分も助けられてきた。ありがたいことだ。
自殺というキーワードで僕のブログに入ってきた方がいるかも知れない。死ぬ気になったらなんでも出来るなんてダサイことは言わない。誰かのために生きてみようよ。路地裏で拾ってきた子猫のためでもいい。誰かの思い出のためでもいい生きてみようよ。
世の中を見渡せば、くだらないことばかり。こんな世の中で生きて行きたくないという気持ちの人はいっぱいいるんだろうな。くだらない世の中だから、生きてみるのも面白いかもしれない。
自分勝手な人間が多いし、欲望まみれの人間もいっぱいだ。人を攻撃したり揶揄することを喜びとする人間もいる。人の不幸をエネルギーにして生きている人間もいる。それが人間だよって言ってしまえば我々は悲し存在だけれど、でも人間なんてそんなもんだって。
だからそんなくだらないやつのために悩むことはないんだよ。妥協しろと言っているんじゃないよ。無視すりゃあいいんだよ。逃げまくっていいと思うよ。
どうせ人間死ぬんだからさ、最後までこのふざけた世界眺めてみようぜ。ちょっとした映画より面白いと思うよ。
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