雨の日ばかりじゃない
時が過ぎて行く。
成長するものと衰退して行くものが交差する瞬間に、僕は慚愧に耐えない声を聴く。決して魂はジェラシーを感じないだろうけれど、肉体のかぶりものは地団駄を踏む。
そろそろと欲望を引っ込めた賢者は、静かに目を閉じて出番を待っている。しかし愚者は、利用できるものを物色し、恥を晒す。
僕らは何処からやって来て何処へ行こうとしているのだろう。
過去にとらわれない賢者は、現在の現実にただただ生を与え、それを糧とする。しかし愚者は、過去の栄光を脚色し、恥を晒す。
真実の愛を見出すために、僕らは途方もない欺瞞と搾取を被ってきた。
愛を語らない賢者は、静かに呼吸を見つめ、その息遣いに大地の鼓動を感じる。しかし愚者は、愛の形が欲しいと言って、愛することを忘却し、大地に唾を吐く。
人生が晴れの日に、土砂降りの雨は想像すらできない。しかし雨が降り続くときは、晴れの日は想像できる。それが人生だ。
だから賢者は土砂降りが止むのを待ち、愚者は傘をさして出かける。
当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
コメント