仮定法は人生にはいらない
中学の英語の教科書が難しくなり、いままで高校で学習してきた仮定法の語法が中3におりてきた。もし〜だったら〜なのにな〜と言う例のフレーズである。
この仮定法、テストには頻繁に出てくるけれど、人生には於いてはいらないものだと思っている。現実に不可能なことを嘆いても仕方がない。
もし私が男だったらな〜と思っても、男じゃないのが現実なわけで、生理的身体的相違を悔やんでもしょうがない。ポジティブに生きたいなら、男性並みに肉体を鍛え、整形するお金を作ると言う方法もあるけれど、それは個人次第だね。ジェンダーに触れるのでこれ以上は書かないけれど。
過去完了の仮定法というのもあるけれど、過去を後悔して過去が変わるわけではないので、今の自分が対応できることを頑張るしかないと思うね。
本屋さんのスピリチュアルコーナーには、よくパラレルワールドなんてものをテーマにした本が置いてある。世界は多重構造になっていて、その人が選んだ世界が展開していくという話。
例えば結婚をして幸福な家庭を築いている人がいて、一方では独身のままでパチンコに命をかけている同一人物がいるみたいな。笑
空間や時間が無数に存在していて、その人が演じる人生は、その人がチョイスした人生ということなんだろうけれど、そうなって来るとますます仮定法は必要ないってことになるよね。だって後悔しない人生を送っている別の自分もいるわけだから。
僕はかつてこんなことを空想したことがある。我々が生きている世界は、神様が寝ている間に見ている夢で、本当は全てが仮想現実じゃないのかって。マトリックスの見過ぎだろうと言われればそれまでだけど、生きていることに実体というのか現実感を覚えない瞬間ってあるよね。
人生とても辛い時や、どうしようもない時、逆に幸せ過ぎて怖いような時って現実感が希薄だよね。希薄ゆえに自分の命も希薄に感じてしまって、自殺なんていう悲劇を呼び込んでしまうんじゃないだろうか。
何かを仮定して生きるって、現実逃避だけれど、そんな語法が世界言語に存在するってことは、そもそも世界そのものが現実逃避のかたまりなんだろうね。やっぱり仮定法はなくならないか。
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