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2022年6月17日 (金)

学ぶということ

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誰だって賢くありたいと思うし、お金持ちになりたいと思うだろうし、幸せになりたいと思って生きている。

でもそう言った幸福感みたいなものは、とても個人的なことだし、客観的な指針がないだけに、欲望もエスカレートもするだろうけれど、それ故に望むこと自体が無意味に感じることさえある。

僕などは現実的な人間なので、せっかく生まれて来たのだから、ちょっとでも上を目指して頑張った方がいいと思うのだけれど、世の中には頑張りたくないという人も多くいて、生きる格差みたいなものがものすごく広がっているな〜という感じがする。

僕の塾にやって来る生徒たちは、親から勧められると言うよりは、積極的に勉強をしたくて入会する子どもたちが多い。故に途中でやめるということが非常に稀だ。親御さんから塾やめないと言われてやめる生徒がいるけれど、通い続けたいのに親から強制的に打ち切られるのは実際見ていてかわいそうになる。

金銭的理由や、パソコンやタブレット授業の塾がいいというのが塾をやめるほとんどの理由なのだが、塾に留め置く理由が希薄なのだからしょうがない。

学ぶということを、頼まれ仕事でやっているうちは、なかなか学びの神様が微笑んではくれない。学ぶ気持ちが定着すると一気に運みたいものが、溢れ出して来る。世の中には暗記力がいい人がいるが、それを持ってして優秀と決め付けるのはどうだろう。世の中暗記力だけで生きていけるほど甘くはない。

学ぶということを机上の学問としてだけ捉える人が多いが、スポーツにも音楽にも遊びの中にも多くの学びがある。もちろん僕がやっているようなフリースクール的な寺子屋にも学びがある。

パソコンの画面と睨めっこするか、友達と教え合って学ぶのかは、それぞれの選択であって、優劣の判断は言わば自由だと思う。

タブレットやパソコンが主流になれば、僕がやっているような寺子屋は終焉を迎えるのだろうけれど、学ぶ真髄というものは未来永劫変わらない気がする。ハード面だけが特化されて来ている教育業界だけれど、学びというのは、解答の裏側に潜んでいる一見どうでもいいような無駄の堆積に挑むことに価値があるのであって、タブレットの画面をただ妄信するだけの学問に、僕は殺伐とした疲労感を覚えてしまう。

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