ダイヤモンドの夕陽
先週とうとう草刈り機械のモアーが天寿を全うした。40年ほど前に製造され、エンジンもオリジナルとは違うものが搭載されていた中古のモアー。6年前に10万円で買ってきて、だましだまし使ってきたけれど、とうとうこときれた。
今後モアーがないと、過労で僕までもがこときれてしまうので、思い切って新品のモアーを注文した。車以外では人生最大の買い物となった。30年は持つ機械なので、僕より間違いなく長生きする機械だろうと思う。
そんなことを考えていたら、ダイヤの形をした夕陽が沈んでいった。
人は生きていくために働くわけだけれど、よくよく考えてみると、どうでもいいことに途方もないエネルギーを注ぐ生き物だと思う。それを穢れなき努力と呼ぶほどに僕は悟りを開いてはいないが、いい加減な人生でも迷惑をかけなければいいのかなと思うことが増えてきた。
言ってみれば、我儘のススメってとこだろうか。研ぎ澄まされた感性で生きて行くと疲れてしまう。太陽だって時にはダイヤの形になりたいわけで、光の屈折がどうのとか、雲の反射率がどうのとか言う前に、ダイヤの夕陽もいいいなで終われば、それだけのことだ。
自分の人生に何か特別な意味を持たせようとする人が多いけれど、一生懸命生きて死んでいく人生って最高だぜでいんじゃないだろうか。シンプルに。
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