小さい頃のトラウマ
妻に言わせれば僕は極度の出不精で、家大好き人間らしい。確かに泊まりがけの遠出は皆無に等しい。
お金を使うことにある種の恐怖心がある僕は、小さい頃のトラウマにその原因があるようだ。幼少の頃近隣の老人たちは僕の家を庄屋と呼んだ。この言葉の意味を解するようになった年齢になった僕は、自分の名前に嫌悪し始めた。
庄屋を治めると書いて庄治。ふざけた名前だ。僕が生まれた頃は、多くの田畑を失い、父は出稼ぎでなんとか家計を支えていた。そしてその父が体調を壊し長い闘病生活に入った頃、我が家は生活保護家庭になった。貧乏生活の中で唯一の僕の楽しみは、身体を動かすことだった。
サッカーに野球に卓球、そしてマラソン。勉強などいっさいしなかった。運動をしていると嫌なことを忘れることが出来た。
高校の授業料も大学の授業料も奨学金とバイト代で払った。お金がないことが苦じゃなかったのは、家庭環境のおかげだったかもしれない。小さな田舎町で寺子屋塾を継続してこれたのも、お金がないなりの身の施しようを少年時代に学んでおかげだと思っている。
僕が20代半ばに、プライベートに名前を改名した理由をあまり親戚や家族に言わなかったけれど、このような僕の葛藤があってのことだった。ただし、勤めている私立高校では本名を使っていますけど・・・
いつまでもあると思うな親と金。まさにこの言葉は至言である。お金に苦労したトラウマに今は感謝をしている。余談になるが、先日引き落としができませんとの連絡が随所からきたが、僕の通帳には69円しか入っていなかった。なんとかしないとね。人生ずっとこんな感じ。ドンマイだよね。
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