アラハバキの神
平安時代、坂上田村麻呂が東北に征夷にくる以前、東北の地で祀られていた神はアラハバキである。
単純な見方をすれば原始的な磐座信仰ということになるのだろうけれど、この巨石信仰は、そう単純なものではなさそうだ。宮城・岩手・青森の磐座信仰はどうも、星の信仰であり、そこに秘められた信仰の残像は、土着の神と言うよりは、洗練された西洋のにおいがする。
磐座にある割れ目は、後世女性そのもの象徴として、安産祈願の対象としての信仰を継続してきたが、そのオリジナルの原点はエジプトのピラミッドにも匹敵する古さと天空のパワーに満ちていた気がする。
僕が5年前に提唱した岩手県南の六芒星は、そもそも磐座信仰のアラハバキ神を巡り歩いているうちに導かれた巨石たちであった。そしてその巨石たちに僕は古代ヘブライ人たちの痕跡を見つけることになる。ダビデの紋章だ。
日本語の中には偶然だけでは済まされない、ヘブライ語の同音同義語がおおい。5年前に訪れた旧戸来村。キリストの墓で有名な観光地だ。生まれてきた赤ん坊の額に、六芒星のダビデの紋章を描く風習がかつてはあった。そして民謡の歌詞には多くのヘブライ語が現存する。
キリストの墓は眉唾ものだが、遠い昔に、ヘブライ語を話す民がこの地にやってきたことは、十分あり得る気がする。ヘブライ村と戸来村、僕には同じ語源に聴こえてくる。
東北にたどり着いてヘブライ人たちが、巨石に六芒星・ダビデの印を残したとは言えないだろうか。聖徳太子が著したとされる維摩経は旧約聖書の影響が垣間見られるとする研究者の声もある。もしそれが本当ならば、古代日本にはユダヤやイスラエルの文化思想が政治の中枢部まで入っていたことになる。
坂上田村麻呂は大陸から渡ってきた民の子孫だと言われている。僕が提唱した六芒星の磐座には、ことごとく坂上田村麻呂の伝説が絡んでくる。彼はこれらの磐座の意図に気づいて封印を試みたのではないだろうか。その証拠に、まるでアラハバキ神に敵対するように、彼は毘沙門天をアラハバキ神のそばに建立して行く。
日本の神道の世界観とギリシャ神話の世界観に多くの共通点が見られるのも単なる偶然ではないかも知れない。
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