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2022年5月11日 (水)

人生の清算

還暦を過ぎて、ふと昔を振り返ることがあるのだけれど、決まったように亡くなった友人たちの顔が思い浮かぶ。一緒に酒を飲んだことや、旅行に行ったこと、たわいもない会話が鮮明に過去から蘇って来る。

自分が死んだら、誰かが僕を思い出してくれるんだろうかと考えたりするのだけれど、良く考えてみたら、そんなことはどうでもいい。

生きている人は生きて行くことで精一杯だし、死んだ人は思い出以外で現実に関与することはできない。書物や芸術やなんらかの功績を残したとしても、それはあくまでも間接的なものであって、直接触れあった思い出には勝てない。

作品を通じて故人を知るということは、ある意味無理なことだと思う。その作品を鑑賞出来ても、故人の感情にはアクセス不能だ。想像の域を超えることはできない。作品の意図を知っているのは、本人以外いないのだ。

音楽や小説の評論を書く人は、あくまでも評論家自身の経験値と感性で作品や作者を論じているのであって、実体としての故人を語ってはいない。

僕は故に自分の終焉を迎える時は、自分の分身としての文章や作品は全て消し去りたい。勝手な想像で自分を語って欲しくないし、家族や、本当に親しかった友人の思い出の中に、チョコっと鎮座させていただければ、それで本望だ。自分が存在したことは自分が知っている。それで十分だろう。

13年前に酒とストレスで身体がボロボロだった僕は、このブログを遺言のつもりで書き始めた。父親の他界した年を5年ほどやり過ごした。なんとか持病を抱えながらも命を継続してこれた。ありがたい。もう少しだけ生かさせてもらおうかな。

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