
このテーマを突き詰めて行くと、神社って何?という究極の問いかけに辿りつくわけだけれど、今日は僕の勝手な神社論を述べてみたいと思います。
神社って神様がいることになっていますが、本当にいるのでしょうか。僕はいると思います。他の宗教の神様はどうなのかわかりませんが、日本の神道における神様はいらっしゃいます。古事記や日本書紀はその大きな役割を果たしています。
自然崇拝を基盤に信仰されてきた八百万の神々というのは、何世代にも及ぶ人間の集合意識が創造した神々だと思います。ここの神社に天照大神がいらしゃるという人々の想念が強烈な神を存在たらしめます。それほどまでに人間の想念は強烈です。侮ってはいけません。
例えば、歌のうまい人がいるとします。いくらうまくてもその歌声が多くの人に届かなければ、その人は単なる歌がうまい人で終わります。
ところがテレビで紹介され、多くの人が感動するとその歌い手は一気にスターダムの階段を駆け上がり、神のごとく崇拝され、多くの人を熱狂させます。なぜでしょう。多くの人々の想いがそうさせます。
あの人素敵だな。売れればいいな。もっと歌を聴きたいな。こう言った想いがエネルギーとなり、レコード会社を動かしスポンサーを動かしていきます。しかし人間は実体がありますから、慢心や裏切り行為をしますとあっと言う間に下降して行きます。これも周りの想念ゆえですね。
ところが神様は実体がありません。人によっては神様が見えると言う人もいますが、特殊なケースですね。この神社の神様は受験合格を請け負ってくれる神様らしいという評判が立てば、多くの受験生が祈願に訪れます。そこに合格と言う物凄い波動が生まれます。実体がないだけにパワーの限界が無いのです。その神社で巻き起こる合格という波動が受験生の勉強部屋は当然のこと、脳のシナプスまで合格の波動が絡みついて行きます。信じたもん勝ちですね。
話は変わりますが、日本の神社には戦争の勝利祈願のために勧請された多くの神社があります。戦争に勝ちますようにという波動が作り出した神様がいらっしゃいます。世界でもそうでしょう。戦争に勝ちたいという想念と戦争をしたくないと言う想念のどちらが強いでしょうか。
神社には祈願をするもんじゃない。感謝をする場所だと言う人が結構います。つまりは負の波動ゆえの神様を作るなということなんでしょうね。
僕は神社が好きです。戦がなかった頃の縄文の神を復活させたいと言う野望を持っています。故に磐座を御神体とするアラハバキ神の探訪に余念がありません。実は今日も気仙沼の岩倉神社に行ってきました。前世が巫女だったような気がする妻の導きです(笑)。
以前にも書きましたが、初めてどこかの神社に行くと、その神社に縁がある地域の生徒がやって来るという奇跡が頻繁に起きます。じゃ今日はどうだったのか。
実は岩倉神社の拝殿からは太平洋を見ることが出来ます。気仙沼市の岩倉神社から塾に戻ってきた僕のところに突然体験入学にやってきたのは、気仙沼の方ではなく、お母さんが外国人のお子さんでした。岩倉神社の神様は太平洋の向こうから縁を持って来てくれました。感謝です。
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