最近のトラックバック

« 雪道の通勤 | トップページ | ここに塾があるから見える風景 »

2021年12月28日 (火)

一枚の喪中葉書

N

大学を終えて最初に勤めたのは、世田谷にあった進学塾。そこにバイトで来ていた大学生のアボチャン。大学生だけれど年齢は同じ。僕が教えていたのは社会で、アボチャンは数学担当だった。同年代ということもあって、色々遊び回った。主に誘ったのは僕だけれど。

2年ほどして僕は岩手に戻り、アボチャンは大学を終えて実家のある札幌市へ。僕と同じ塾の先生になった。しばらくして結婚した僕は、新婚旅行は北海道に決め、アボチャンには札幌を案内してもらった。

その後お互い多忙で、会う機会がなく、年賀状のやりとりだけ続いていた。東日本大震災の2年前、急に僕に会いたいとの連絡をもらった。独立して会社のオーナーになっていたアボチャンが、釜石市に商用で行くので、一関で一緒に飲みたいとの連絡だった。ちょうど年末の今頃だった。

20年ぶりに会ったアボチャンは、全く変わっておらず、頭髪が薄くなった僕に比べたら、10歳は若く見えた。彼には小学5年生になる一人娘がいた。いつも娘さんの写真を持っていて、もちろん僕にも見せてくれた。かわいいという形容詞がアボチャンの娘さんのためにあるんじゃないかと思えるくらいかわいい娘さんだった。

東日本大震災が起きた。遠くにいる友人たちから安否確認の多くの電話やメール、そして支援を頂いた。でもアボチャンから連絡が来なかったし、こちらからの連絡も届かなかった。その年の暮れに一枚の喪中葉書が届いた。アボチャンの奥さんからのもだった。

震災の前に、脳梗塞でアボチャンは亡くなっていた。49歳の若すぎる旅立ちだった。そう言えば、血栓が見つかって薬を飲んでいるって言ってたのを思い出した。僕に会いに来てくれたのは、旅立ちの挨拶だったのだろうか。

あれから11年の年月が過ぎた。アボチャンの愛娘は、大学の3年か4年生のはず。アボチャンが生きていれば、2人で還暦の愚痴大会をやっていたかも知れない。年の瀬の雪の中、僕の思い出がまどろみ始める。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ ⇚ぽちっと一押しの応援お願い致します。

当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー

 

« 雪道の通勤 | トップページ | ここに塾があるから見える風景 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 雪道の通勤 | トップページ | ここに塾があるから見える風景 »