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先日の気球の写真を整理しておりましたら、見事な龍神雲が写っている写真を発見。かなりイケメンの龍神さんです。
龍神雲をSNSに頻繁にあげているものだから、いつも空ばかり眺めている龍神オタクに思われがちですが(笑)、そうではなくて、雲を眺めていると、雲の形が瞬時に龍神さんの形になるんですね。さすがプレアデス星人でしょ。自画自賛(爆笑)。
やっぱり病気である。当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー
リサイクルショップの片隅で埃を被っていた龍神船。七福神が乗っている縁起物。500円だったかな。僕はこういった買い物を救済と呼んでいる。
どこかの誰かが不要になって出した縁起物を見つけてきては、神棚や静謐な場所に鎮座させている。本来それらが持っていたであろう縁起物のパワーを復活させることに使命感を感じているのだ。ほとんど病気である(笑)。
時に祝詞を奏上し、八百万の神々に、この世に見出された龍神や神々が、単なる粗大ゴミとしての恥ずかしめを受けた状況を凌駕し、本来の神籬としての役割を復活することを請い願う。
やっぱり病気である。
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忙しい。
やっていることを断捨離して行かなければならない年齢なのに、還暦を過ぎて今まで以上に忙しくなった。本当はこのブログも13年書き続けてきたので、ぼちぼち卒業したいのだけれど、会う方々が、ブログ楽しみにしていますよ、なんて言われると、このブログを閉鎖する勇気も湧かない。
先月は僕のこの稚拙なブログを読んでくれた中学生を持つお父さんが、お子さんを僕の塾に連れてきた。なんと入会して頂いた。やっぱりやめられない。
さて今日はいよいよガラケーとの惜別の日だ。授業の空き時間にスマホに交換してくるつもりだ。お金がかかるのでスマホを敬遠していたけれど、だいぶ基本料金も安くなったようなので、決断した。てが。ガラケーの電波帯がもうすぐ廃止になるので、早かれ遅かれ交換しなけけばならなかったわけで、時代の趨勢には逆らえない。
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2022年の公立高校の入試は3月8日。合格発表は3月16日。来年の入試も新型コロナウイルス対策のため面接はありません。
大学の推薦入試が始まり、いよいよ本年度も受験シーズンに突入しました。新型コロナウイルスの影響で、大学の面接もリモートで行われるところが増えてきました。少子化の加速と、コロナ不況による大学進学の変更が増え、私立大学も生き残りをかけたサバイバルの時代に突入しました。
大学や短大に行くよりは、実践的な専門学校で即戦力を磨きたいという高校生が増えるなか、大学教育のカリキュラムの見直しが行われつつあります。一方高校に於いても、私立高校は特殊技能を学ぶ専門学科を増設し、公立高校に出来ない専門教育の分野に力を入れております。
様々な選択肢が増える一方、自分の将来の仕事が見えない生徒がいることも事実です。労働とは何か。学びとは何か。そういった事案に真剣に向き合えば向き合うほど、模索する自分の姿が混迷するケースもあるのかもしれません。そんな時は本を手にしてみることですね。本の神様がヒントを与えてくれるかもしれません。
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昨年の今頃この薪ストーブを頂いた。そして薪ストーブの薪の材料が欲しいとSNSでつぶやいたら、多くの友人知人から連絡を頂き、昨年は冬を越すことが出来た。持つべきものは友である。
今日は土砂降り。洗濯物の乾燥を兼ねて今日も薪ストーブは大活躍だ。先日も隣家の先輩宅より栗の木を頂いてきた。薪に使いやすいサイズに、チェンソーで切って頂いて恐縮である。ところでこのストーブ、僕が一関で塾を開きたいと憧れた某塾で使われていたもの。4件目で僕の家にやってきた。不思議な縁である。
ストーブの取っても、耐熱ガラスも新たに取り換えたのだけれど、製造から30年経っても部品があるというのはそれだけ愛され続けてきたものなんだなと感動している。そう言えば僕が買った中古のモアーも30年以上前に製造されたものだけれど、未だに部品が発注できる。昔の良きものはやっぱりすごいね。
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自宅の近くにステキな雑貨屋さんが出来たというので出かけて行ってみました。場所は花泉老松。
なんやかんやと話をしているうちに、お店の店主さんの姪御さんたちが、僕の塾の卒塾生であることが判明。いろんな思い出話に花が咲きました。世の中は狭いというのか、縁は人を間違いなく結びつけて行くんですね。
先日もそうでした。気仙沼の唐桑のお友達のところに出かけていったら、昔僕の妻が住んでいた二子玉川に、そのお友達のご夫婦も住んでいたことがあって、唐桑で二子玉川の昔話で盛り上がっていましたね。一見無造作に見える世界が、実は緻密な糸で結ばれているんですね。
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塾の本棚に置いている小林正観さんの作品です。彼の著作に出逢ってから、生きることの無駄みたいな雑音とは決別出来ましたね。そして生徒たちの不得意な面ではなく、得意な分野をサポートできるスタンスが確立できた気がします。
早いもので亡くなられて10年が過ぎました。今月の12日が命日でした。いろいろな会議やミーティングなどでは、声が大きかったり態度のデカい人の意見が通りますよね(笑)。気後れして言いたいことが言えない状況ってありますよね。でも心の中の想いが正しければ、その想いは届きます。小林正観さんの本はそのような感覚に導いてくれる本です。
感謝やありがとうの気持ちは人生を生き抜く最強のツールです。人間の肉体や能力は平等じゃないかもしれませんが、心の想いは誰もが最強になれます。彼の作品にありがとうですね。
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15年前に磐井川の土手の改修工事が行われ、塾の西側にあった住宅や倉庫が全て移転した。その結果塾の教室から堤防の風景を遮るものがなくなり、2階の指導室から毎日暮れ行く風景を眺めることが出来るようになった。
塾生が集う前のひと時、毎日贅沢な時間を過ごさせてもらっている。窓から隣家の屋根や壁を眺めていた15年前を思うと、今の環境に感謝の気持ちでいっぱいだ。土手の工事が始まった頃は、塾前の道路が通行止めにされ、仕事に多大な影響が出たこともあったのであるが、毎日夕暮れの光景を仕事場からダイレクトに見れる今となっては、それも苦くて懐かしい思い出である。
今年は半袖の季節から一気にセーターの季節になった。夏から秋を通り越して冬になった感がある。新型コロナウイルスも心配だけれども、受験生は旧型コロナにかからないように万全を期して頂きたい。
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塾の前の磐井川の土手を、一関一高附属中の陸上部の生徒たちが走り抜けて行く。文武両道に励む姿は実に清々しい。
一応塾をやっているので、一関一高附属中学の入試について結構聞かれます。早い話が受験指導はしてくれないんですかという質問ですね。僕の塾は高校生と中学生がメインです。高校生は一高・二高・修紅・学院の生徒が大学受験に向けて英語や論文を学びに来ています。中学生は桜町中・一関中・磐井中・平泉中・花泉中・附属中の生徒が国・社・数・理・英を入試に向けて学んでいます.現在小学生は5名だけ来ています。附属中学に合格する92パ―セントの児童が盛岡に本部がある一関市内の塾の出身者です。僕の塾では毎日コースで24000円の月謝を頂いておりますが(今はコロナで人数制限をしていますので毎日コースは実施していません)、その塾は10万円以上がかかります。でも合格実績は抜群です。ゆえに本気の本気で合格したい場合は、僕はその塾を薦めています。いっさいその塾からはマージンは頂いていませんが(笑)。
僕の塾ではゆえに毎年附属に合格という実績はございません。試しに頑張ってみる!という生徒さんを指導しています。昨年は合格者を出しましたが、一昨年は不合格でした。そんな状況です。本気の本気での受験勉強は確かに大切ですが、実は附属に不合格になった生徒さんが、中学に行って不登校や保健室登校になっているケースが多いのをご存知でしょうか。毎年相談を受けます。小さな田舎町なので、誰が受験したかは筒抜けです。落ちて普通の中学校に入った生徒に対して『あれ、おまえ附属じゃなかったの?』『〇〇塾行っていたんじゃないの?』なんていう言葉が、悪気があるわけじゃないんでしょうが、同級生から発せられます。田舎町故の仕方ない状況が生まれるわけですね。
笑ってごまかせる精神力がある生徒は良いとして、あれだけ頑張ったのに落とされたというショックは、12歳、13歳のこどもにとっては想像以上のダメージです。受験の準備と共に、その辺の覚悟と事後の対応をお子さんと話し合うべきですね。附属受験の塾から僕の塾に移ってくる生徒さんが毎年数名います。はっきり言います。彼ら彼女らはほっとしています。僕は基本的に勉強を強制しません。アドバイスはします。わからない問題があれば解説します。そして生徒たちと無駄話をします。それだけです。
周知の事実ですが、僕は受験に失敗した経験を持っています。近隣で、高校も大学も母校には失礼ですが、4流の私学を終えた塾長なんて僕ぐらいだと思います。そんな僕でも、塾生を東大や早稲田、慶応、東北大、北大などに導いてきました。自慢することじゃないですが、僕の能力はやっぱり4流だと思います。ただ生徒に勉強するための意義を理解させることに於いては一流だと自負しています。ゆえに30年も儲からない塾をやってこれた気がします(笑)。
今日は長いつぶやきになってしまいました。いつも小学生を持つお母さんや、お父さんに尋ねられる案件について書いてみました。あしからず。
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今までいろんな虹を見てきましたが、町中からこんな低空で見た虹は初めてですね。なんとも言えないグリーンの味わいが、秋深まる磐井川に彩を添えておりました。まるで磐井川の上を龍神さんが舞っているようでしたね。
龍神さんと言えば、そろそろ例年であれば収穫を祝う神社の秋祭りの季節。今年もコロナの影響で自粛をするところが多いようですが、神社の龍神さんもちょっと寂しがっているんじゃないでしょうか。
今年のお米は豊作だったようですが、米価の下落で農家の皆さんの喜びは半減だったようです。お米が一番高かった昭和の中頃は一等米60キロで2万円を超えていましたからね。それが今では1万円を切っているわけで、機械の高騰や燃料代を考えると、採算が合わない米作りです。
5年前にお米作りをやめた僕が言うのもなんですが、コメ農家存続の危機ですね。豊かな水田地帯を後世に残すために、政治的カンフル剤が必要な時ですね。
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自称プレアデス星人などとのたもうているものだから、いろんな方からいろんな情報をいただく。そういった情報の中には、めちゃくちゃ面白いものから恐怖に震えるものまで実に多種多様だ。
昨年は僕が提唱した岩手六芒星などというものが注目されたものだから、プレアデス神話はますます加速している(笑)。そんな情報の中から僕の食指が動いたお話を披露したい。
地球の宗教を操作して、戦争やテロを扇動してきたのがオリオン系の宇宙人で、その暗躍をなんとか阻止しようとしてきたのがシリウスやプレアデス系の宇宙人なのだそうだ。簡単に言ってしまえば世界宗教VS太陽信仰という図式らしいのだけれど、日本のアマテラスやエジプトの太陽神はプレアデス系の宇宙人が、他の巨大宗教はオリオン系がバックにいるということらしい。
真面目に話を聞いたり、著作を読んだりしていると頭痛がしてくるのもあるわけだけれども、様々な思想や妄想が闊歩する世の中であることは間違いない。
ところで日本の阿蘇山が噴火すると、それを合図にしてこの2大勢力の戦いは山場を迎えるという話を聞いたことがあったのだけれど、その阿蘇山が今日噴火した。ひょっとして今回の新型コロナも関係しているのだろうか。自称プレアデス星人である僕には知る由もない。ただ教室の神棚ににこんなものを飾っている僕は、たんなるハゲおやじの地球人じゃないことは間違いない(笑)
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教室にちりばめられている雑貨は、はっきり言って僕のこのみ。60を過ぎた爺じいの趣味にしてはキモいというご意見もございまでょうが(笑)、精神年齢が21歳のままなものでなんとも仕方がないんですね。
遊び心満載の寺子屋なもんですから、惹きつけられて来る塾生も、なかなかの個性派。まだまだ負けてはいられません。
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ストーブから一気にエアコンが欲しい気温に上昇した昨日は、スマホやパソコンの入りも悪く、電波障害のせいか丸一日使えなかった。温度差が激しく、僕の鼻水も止まらない。明日耳鼻科に行って薬をもらわないと。
昨日の夕暮れは綺麗だった。秋も深まってきましたね。一関磐井川の河川敷は例年ならば芋の子会の時期ですが、今年もダメでしたね。
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昨日河北新報に僕の4回目のコラムが掲載された。原稿〆間際の先月は、卓球の新人戦やら高校の期末テストの作成やら、そして検査直前の休耕田の草刈りやらで、眠る暇がないほど忙しかった。
そこで、かつてこのブログに掲載した記事をちょこっと拝借して(笑)リニューアルして原稿を送った。次回はそれじゃダメだろうと自戒して、一生懸命打ち込んで、11月分の原稿を早々に完成させた。ところがである。その原稿が消えてしまった。完全に。絶句。8時間ほどの労力が水の泡。
下原稿なしで打ち込んだ文章だったので、はじめからやり直し。は〜
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今日の水曜日は雨。水曜日の午前中は高校の授業がない。母や妻を病院や歯科医に連れて行く日。朝から忙しい。雨の中、庭の薔薇と秋桜が秋色に濡れそぼっている。
先日塾の空の曜日をお伝えしたが、平日夜7時から8時半のコースならば、金曜日のぞきで全てOKなことを書き損じてしまった。放課後4時から7時までは全ての曜日が埋まっているので、その時間帯の指導は定員になっているのでご了承願いたいということでした。
大験セミナーは塾生が多くて儲かっているんじゃないと勘違いされるので申し添えておきますが、コロナ対策として人数制限をしているが故の定員ですので、そこんとこよろしくお願いいたします( ´艸`)。
それにしてもコスモスの花は可憐ですね。コスモスはもちろん宇宙という意味もありますが、秩序という意味もあります。宇宙は秩序だっていますからね。一見カオスに思える事象が、実は神の意志で動いているのかもしれませんね。
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僕らはいったい何処まで辿りつければ満足なんでしょうかね。限りない欲望と諦観の狭間で悶え苦しんでいる若者たちを見ていると、彼らの生々しい傷の疼きに同情しますね。
間違いなく自分もそうだったんだろうと思うわけですが、若いということは時に残酷なものです。行動できる体力と強靭な肉体があっても、お金も地位もないですからね。自分を創造するきっかけが持てないんですよね。
知識や学力といっても机上の理論で太刀打ち出来る世界は、若い頃は幻みたいなものですからね。それでもですね、若いってことは凄いんですよ。神々しいですよ。秘めた可能性は無限ですからね。
その自分の無限さに心底惚れば、怖いものはないんですよね。気づいた者勝ちなんですよ。僕はそのことに気づかないまま爺になってしまって悔やんでいます。はい。
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ほぼほぼ珈琲中毒症。朝食に珈琲を飲まない日はない。どんなに眠くても疲れていても、豆を挽きドリップして僕の1日が始まる。
故に珈琲豆をきらした日などは、1日中気分が盛り上がらず、冴えない1日となる。僕は四半世紀の間、友人の珈琲豆店の豆を挽き続けてきた。仕事場に近い一関一高側の佐惣珈琲豆店の珈琲豆である。
近年はグアテマラの豆が気に入って飲んでいる。いつかも書いたけれど、僕は塾をやっていなかったら、きっと喫茶店のオヤジをやっていたと思う。店名は「プレアデスの香り」。
宇宙人が来店されても困るか・・・。
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教室もそうだけれど自宅の修繕やリフォームは自分でやっている。決してうまくはないが、最低火事にならないように、雨風がしのげるように頑張っているつもりだ。築50年、自分が存命中はなんとか暮らせるように自分で維持していきたい。
昨年頂いた中古の薪ストーブ。なんとか修繕し、煙突を自分で取り付け周りをレンガで囲んで使っている。ただストーブ前の防火対策をしていなかったので、昨日は卓球の指導もなかったのでホームセンターでタイルとステンレスを買ってきてプチリホームをしてみた。かかった費用は5050円。まあ出来はこんなもんかな。
今年は、休耕田の草刈りは終わったし、今年の冬の分の薪は準備したし、あとは来春に向けて畑の土作りかな。あ!忘れてた。始まる推薦入試の論文指導が佳境に入る(笑)。本業しっかりしないとね。
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自宅のガレージや物置小屋の周りは薪だらけ。昨年頂いた中古の薪ストーブが今年の冬も暖かさを演出してくれそうです。SNSで薪ストーブが手に入りましたよという記事をアップして以来、友人知人より多くの薪の材料を頂きました。ありがとうです。
斧を買いにホームセンターに行ったところほとんど在庫なし。薪ストーブブームも凄いな~と思いましたら、ほとんどの方が通販で買うとのことで、売れないので現物を置いてないらしいんですね。薪割のプロは、ドイツ製とかスェーデン製の斧をゲットするらしく、僕には違う世界の住人ですね( ´艸`)。
今度の冬の薪はほぼほぼ準備できました。早々に妻は薪ストーブに点火、雨の日の乾燥機がわりに使っています。
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コメ作りをやめて久しいけれど、妻が畑に野菜を植えている。昨年耕運機を買ってきて、掘り起こして必死にトマトを植えたけれど、そのほとんどを狸に食べられてしまった。
今年は狸の餌作りは勘弁して欲しいと拒否したところ、妻は花壇にプチトマトを🍅植えた。秋を迎えても収穫が続いていて、狸の被害には合わなかった。
さつまいもとかぼちゃも収穫できた。絶対ダメなのはとうもろこし。完璧に野生動物たちが狙っていて、トマトどころではない。僕の住んでいる里山には、カモシカや熊、イノシシ、ハクビシン、アナグマ、そして狸がやってくる。以前は居なかった動物達だ。実に困ったものだ。
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こんぬずわ吉田鋼太郎です。あ!まずがえだ、ド田舎のはげおやずです。
今年も中学3年生は志望校決定の時期になりましたね。近年中学校では、将来就きたい仕事に対応する進路指導をしていますが、僕は中学校時代に将来の仕事を展望できる子どもたちに感心してしまいます。
僕が中学校の時なんて、けつきゃちゃにして遊びまくって(笑い)、将来の仕事なんて、みじんも考えていませんでしたね。てが、高校の時も大学に行ってからも夢見がちな人生で、大学の卒業式の日に、就職先が決まっていなかった馬鹿やろうでした。
その馬鹿やろうのまま、生きてきてしまったので、変な大人の見本みたいなおやじになっているわけで、困ったものです。
人生の設計は大切だと思います。確かに堅気な生活を求める人生もいいでしょうが、迷ったら、わくわくドキドキする方向に舵をとれば、お金のことは別にして、人生は楽しいと思いますね。しかしあまりおだずど、僕のようジェットコースターのような人生になるので気をつけてね。
BYおだずすぎのハゲおやじ
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コロナ禍の中で昨年から修学旅行の中止が相次いでいるが、一関中学校は岩手三陸の旅を満喫してきたようだ。3年生がお土産を買ってきてくれた。恐縮である。
一方一関一高は2年生の修学旅行の中止を決定した。やむを得ない選択なのだろうと思う。昨年の一関学院は地元平泉探訪という代価案で思い出作りをしたようだが、一関一高の中止決定は、他校にも少なからぬ影響を及ぼしそうである。
僕の記憶が正しいければ、僕らの世代の頃は一関一高には修学旅行が無かった気がする。確か受験勉強に影響があるとかないとか等の理由だったような気がするが定かではない。一方僕が通っていた私立高校はバリバリあった。しかし僕は非公式のバイトに励んでいたので(笑い)、いろんな理由を取り繕って参加はしなかった。
修学旅行、思い出作りに敢行してもらいたい想いはあるが、ようやく沈静化してきた感染状況が、修学旅行シーズンに向けてどう推移して行くかは知る由もなく、学校側の思案は揺れ動いていることだろうと思う。
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子どもの頃自分が仕事をリタイアする2020年頃には、タイムマシンが出来ていると信じていた。その2020年が過ぎ僕は還暦を迎えた。しかし相変わらず僕は仕事をしているし、タイムマシンのかけらも存在していない。
高校時代、時間旅行はいいかが〜♪なんて曲がヒットしたけれど、やはり幻だった。・・・がしかし、ひょっとすると現代にはタイムマシンはないけれど、未来からタイムトラベラーが来ているようなそんな気がしないでもないざわめき感はウエーブ上では漂っている。
タイムトラベラーや未来からの予言などのワードをググると、次から次へと様々な話題が出てくる。もちろんそれらの話を信じるほど僕は夢見少年ではないが、中には興味がそそられる話がないでもない。
僕はかつて道路を長靴だけがスタスタと歩いている光景を目にしたことがある。幽霊のような違和感では決してなく透明人間のような人間が長靴を履いて歩いている感じなのだ。未来からやってきたタイムトラベラーが、自分の姿を隠し損ねたエラー障害じゃなかったのかと勝手に夢想している。
ところで話は変わるが、時間というものを考えると、不思議なざわめきが起こるのはなぜだろう。なぜ時は過去から未来へ移行するのか。それともそれは幻想であって、同時にあるのか。僕の夢想は止まりそうもない。
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物置兼蔵書の倉庫部屋が飽和状態になったので、還暦を過ぎたのを機に本の断捨離を始めた。妻が開催する風と虹のイベントにいらっしゃるお母さん方に押し売りをしてもらっている。
先日は村上春樹の作品を15冊ほど買っていかれた方もいた。3日間で50冊ほどの蔵書が新たな読書家の元へ旅立った。光栄である。売れたら売れたで補填していきたい。ほぼ常設になってしまった(笑)。
生涯読書冊数を1万冊と決めて読み続けてきた本たち。様々なインスピレーションと心の豊かさを授けてもらった。初めて自分で買った文庫本は石川啄木の歌集だった。あれから50年近くの年月が過ぎた。旅立って行く本たちになんの未練もない。僕の感性の中に沁み込んだ本たちに感謝である。
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自分で言うのもなんだか、頭は良くないがまだボケてはいないつもりだ。しかし近年間違いなく葬式もやって死んだはずの人の何人かに会った。と言っても幽霊じゃない。普通に生きているのだ。きっと葬式をやったというのが僕の勘違いだったのかも知れないのだけれど、それにしてもスッキリしない。
モニタリングのようなドッキリなら分かるが、明らかに現実が複合したような時間感覚を覚えるこの頃だ。
僕の友人に先輩の書道家の先生がいるのだけれど、彼はとある海岸で、周りの風景が自分以外ストップしてしまったのを経験している。他人のタバコの煙もたなびく髪も止まったままの時間が過ぎたという。ちなみに彼は宇宙人にもあっている。
家族にも妻にも言ったことがないんだよと言って、僕に語ってくれた。自称プレアデス星人とおちゃらけているかねごんではあるが、この頃不思議な現象に頻繁に遭遇するようになってちょっと戸惑っている。
実はこの世界は複合世界じゃないのかと思うことがある。パラレルワールドという言葉があるが、多くの時間軸があって、僕らはその多くの世界の中から今の世界をチョイスして生きているのではないかと。僕は現在塾の先生をしているわけだけれど、ちょっとずれた違う世界では、ジャズ喫茶のマスターをしている自分がいたり、海洋にでて船舶の無線技師をしている自分がいるのかもしれない。つまり、現実というのはかなり曖昧なものなのではないだろうかと近ごろ考え始めているわけだ。
君とは住む世界が違うんだよと言う表現があるけれども、まさに住む世界が異なる世界が複合的に存在しているのかも知れない。例えば、4年前僕が提唱したいわて六芒星は、新型コロナが発生しなければ、単なる神社オタクの戯言として誰も見向きをすることなく闇に葬られた話である。古代の結界が時代を超えてこの令和の時代に脚光を浴びたのも、何処かで選択されて、パラレルワールドのひとつの世界が開いてしまったのではないかと思うかねごんである。
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わずか200年前まで、人間の平均寿命は30歳ぐらい。お産で命を落とす女性が多かったし、乳幼児の死亡率がめちゃくちゃ高かった。
現在ではほとんどの国が、60歳を超え、日本人の平均寿命は80歳を超えている。人生が長くなる一方で、認知症の老人が急増し、介護する家族の負担が増えている。
人生90年などと言われると、僕などまだまだひよっこなわけだけれど、正直そんなに長生きはしたくない。せめて今面倒を見ている母親を看取るまでは死ねないと思っているのだが、年金暮らしが出来ないこの国の現状を考えると、息子たちに面倒をかけないタイミングでお迎えが来て欲しいと思うこの頃だ。
先生いつまで教える仕事するんですか?最近よく生徒たちに聞かれる質問だ。適当に70歳までなどと答えているが、まあその辺まで生きられれば本望かなと思っている。
父は56歳で他界した。祖父は79歳で旅立った。僕はその中間くらいでいいかなと考えている。息子達は全員社会人として働いているし、妻は趣味が多く老後は心配なさそうだ。孫を見ることが出来ないのがほんの少し残念だけれど、まあそんなことは気にしない。
あともう少し走り続けよかと思う。
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