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僕のメモ書きなので分かりづらいと思いますが、昨年お騒がせしました岩手六芒星の続編です。
六芒星の神社の周りを計算したがごとく、八幡神社が配置されています。もちろんこれをやったのは源義家さんでしょうが、その意図に僕が悩んでいます。この六芒星を強化するために八幡神社を勧請したのならば、この六芒星は坂上田村麻呂が関与したものだろうし、この六芒星のパワーを封印する目的で勧請したものならば、安倍氏が作った結界なんでしょうね。
源義家さんに伺ってみたいですが、こればかりは何も資料がないので謎です。
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人の気持ちはいつもころころ変わっていきます。何かを想い、何かを希望し、何かを願うからでしょうね。気持ちを心と言い換えるところころ感は、もっとわかるでしょうか。
なかなか人の願いというものは叶いません。思いは現実を創造するなんていう、今はやりのスピリチュアル的な思想がありますが、我々は神様じゃないので、光よあれ!と叫んでも、せいぜい電灯のあかりしかありませんし、3億円よ当たれと念じても、300円が関の山です。
ただし、時として願っていたことがあっさりと叶うことはありますね。昨年の我が家の話で恐縮ですが、三滝堂のippoさんの薪ストーブをFBに掲載した時に「薪ストーブが夢なのですが、残念ながら先だつもが・・・」なんてつぶやいたところ、閲覧した方から、中古だけど薪ストーブがあるのでどうですかというコメントを頂き、あれよあれよという間に、わが家の座敷廊下に薪ストーブが鎮座し、その薪ストーブをFBにアップしたところ、多くの皆さんから薪にいい材料があるから持ってってという連絡を頂いて、今年の冬は人生初の薪ストーブを堪能することが出来ました。感謝です。
心の話に戻りますが、やっぱり一番生きて行くうえで身体にストレスがかかるのは不安という精神状態ですよね。心が不安になると大変です。お金が無い不安。仕事の不安。健康に対する不安。子どもの教育に対する不安。数え上げたらきりがないくらいの不安があちこちにのたうち回っています。
じゃなぜ僕らは不安になるのでしょうか。自信がないからですよね。自分という存在を信用していないから不安になるんじゃないでしょうか。ということは、自分を信頼し、自信を持てば不安になることはないってことですよね。
自信を持つためには・・・・重要なものは何もないと確信することじゃないかな。
自分の処から出て行くもの去っていくものは、自分にとって重要じゃないから、無くても大丈夫だから去って行くんじゃないのかな。そしてそんなふうに考えれば、不安は生じないよね。きっと。
近年、量子力学に関する本を読みあさっています。と言っても文科系的な量子力学の本ですが・・・・全ての物質を極小にすると原子にたどり着きます。さらに小さくすると量子となり、波のような無の存在になります。簡単に言ってしまうと、般若心経の世界と言うか、この世の本質は無なんですね。我々の生きている世界は・・まぼろし~(^^♪
ゆえに重要なものは何もないのですよ。やっほ~という気分で生きて行きましょう。合掌
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僕は10年ほど前から自分の出身大学名をフェイスブックなどのSNSにあげている。自分で言うのもなんだが決していい大学ではない。自分が高校3年生の時点で入ることが出来たマックスの大学だったろうと思う。しかし世間というものはその高校生の時に合格したその大学の偏差値やレベルで評価するものだ。
高校も大学も私立の僕はその呪縛にかなり苦しんできた気がする。塾業界に入ったのは22歳の春。つまり大学を終わってからずっとこの業界に浸かってきた。業界を見渡せばそりゃ素晴らしい大学の出身者ばかり、東大・慶応・上智・早稲田・・・・。
自分が塾講師として世にアピールできるものなど、微塵もなかった。学生時代、バイトと酒と音楽に入り浸っていた僕が誇れるものは劣等感のみ(笑い)。
でもその劣等感を逆手にとったら面白いかもと気づいたのが20代後半。塾業界で異質である存在を構築することを考えた僕は、独立を決心した時に、大学受験だけを指導する英語塾を作ってしまった。英検の資格もゼロ。俗に言う進学校を出ているわけでもなし。そんな百姓の倅が、いきなり大学受験生だけを教える塾を始める。なかなか過激なアイディアだ。
当時僕が出た市内の私立高校では、授業の英語のレベルは中学の1・2年程度。大学受験を考える輩などいるわけもなく殺伐とした楽しい高校生活だった。しかしこれが僕には良かった。もともと本好きだったものだから、受験勉強は王道を逸脱し、仙台の丸善から手に入れたエロ本の英語の小説を読破(笑い)。次から次へと展開する過激な世界に、心が奪われてしまった(爆笑)。受験に出そうもない俗語ばかりが頭を駆け巡る日々、着々と僕のEnglishは危ない進化を遂げて行った。
今でも高校生に下ネタ的英語を伝授するのだが、高校生は目を輝かせて聞いてくれる(爆笑)。僕はエロ本のお陰で、英語は一応話せる。日常会話くらいなら通訳は出来るわけだが、そんな僕に出た高校や大学を尋ねてくる、高校生や中学生の反応は面白い。
これは僕の勝手な想像だが、きっと名のある進学校や大学を期待したのだろうと思う。生徒諸君残念でした(笑い)。
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曲を作るって行為は、僕にとってはストレス解消以外の何ものでもないね。自暴自棄になりそうな僕の精神を何度も何度も救ってもらったね。曲を本気で書き始めたのは高校を卒業してからで、20歳ごろから。
譜面が書けないものだから、カセットテープに録音してコード譜でメモして作るパターン。ざっくり数えて100曲くらい作ったかな。でもね悲しいかな、現在演奏して歌える歌は10曲ぐらいしかないんだよね。原因はカセットテープの喪失。
学生時代だけで4回は引っ越しいているもんだから、どさくさ紛れになくしちゃったテープがおおいんだよね。あとは劣悪な環境に置いておいたもんだから、伸びたり切れたりしてね。ノートに書いた詩とコードだけでは、忘却の深淵に沈み込んだメロディーは出てこないんだよね。残念!
思い出してみれば、デモテープを作っていろんなところに送ったよね。ライブまではこぎつけるんだけどそのあとがね~。実家に帰って百姓をやる前に、一度くらい花を咲かせたいと思ってね、大学を出た後も東京に残ったんだよね。飯の種を探してたまたま塾講師になったら、そのたまたまが40年も続いちゃったからビックリだよね。
でもねこれだけは言えるね。ギターを弾いて音楽をやっていなかったら、絶対塾屋にはなっていなかったね。人生何があるか分からないね。そのギターもね30代後半からまた手にしてね。ラジオ番組に送ったらたまたま東北エリアで流してもらったりしてね。そんでもって調子に乗ってテレビでもちょっとした特集を組んでもらったりしてね。ハゲ爺の暇つぶしで今もたまに歌っているんだよね。
え!夢は何かって? そうだね~還暦を記念してNHKホールで歌ってみたいね。紅白なんかでね(爆笑)
PS・・ということで本日残念ながら合格をできなかった皆さん。頑張った先には間違いなくあなたの別な道が待っています。大丈夫!ちょっと落ち込んだ日々を過ごしたら、歩き出しましょうね。
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世界が不安にさいなまれている。我々人類に生じる負の出来事は偶然の産物ではない。偶然の産物ではないが、そのことを拒絶する強い意志が必要だ。一番大切なものは命。その命を脅かすものに幾たびか遭遇してきた我々人類は、数十万年の時を超えて存続してきた。我々人類はしたたかに素晴らし。
命は大切なもの、かけがえのないものであるが、誰にでも終焉はやってくる。別れと言ったほうがいいだろうか。しかし意志半ばで去ることは悲しいことだ。だから生きて努力し成長していかなければならない。神に祈る人々の姿ほど、尊く厳粛なものはない。しかし行動を起こさなければ神は助けてくれない。自分がアクションしてこそ運命は強化され、神のご加護がもらえるのだと思う。
人は自分が幸せでなければ、人を幸せには出来ない。同じように不安なまま言葉を発すれば、相手も不安になる。テレビをつけてもパソコンを開けても、コロナウイルスの状況ばかり。情報の選別が限りなく狭められ、悲惨な映像に希望の炎が萎んでいく。そしてありもしない虚言を信じ、さらなる不安が増加する。不安を払拭するためには、ポジティブな思考の創造が必要だ。我々はどんどん世の中をよくするために生まれて来た。だから自分らしく生きれば必ず幸せになれる存在なのだ。朝起きたらこう言ってみたらどうだろう。今日は間違いなく昨日より素晴らしい。だから大丈夫。
そして夜寝るときは、自分とその日出逢った人たちに、ありがとうと言ってみよう。そうすれば人生最後の日まで、悔いなく生き終えられるのではないだろうか。大丈夫あなたの人生はあなたが作るものです。不安はいらないと思います。
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昨年は岩手六芒星などという僕の妄想に、新聞・週刊誌・テレビ等を巻き込み、本当にお騒がせの1年でした。そんな僕ゆえこれ以上のお騒がせは出来ないと沈黙していたのですが、3日前SNSで体調が悪いなんてつぶやいてしまったものだから、皆さんから地震が来ますか?なんていうメールを頂き慌ててしまった。
実は知っている人は知っているのだけれど、東日本大震災の数週間前から、極度の体調不良に陥り、車いすで病院に行く始末。様々な精密検査を受けても原因分からずで、とりあえず休み休み仕事をしていたらあの大地震。地震が起きたと同時に、あれほど苦しんでいた頭痛や胸の痛み・めまいがすっかり完治。それ以来大きな地震が来るたびに、体調が崩れると言う、嬉しくもない地震感応体質になってしまった。
今回も似たような症状だったのだが、高校の合格発表の前でもあるし、動揺するような事は書きたくないと思い、ちょっと体調不良なんて言葉で濁したのだが・・・・・
大地のゆがみに自分の身体が連動しているのか、三半規管が弱いゆえに、地場のゆがみに過剰反応をするのか定かではないけれど、歓迎できる症状では決してないわけで、困っている。
ここまで書いてきて言うのもなんだが、実は例の症状は昨夜の地震の後も続いている。大きな余震が来る可能性もあるので、水や電灯の準備は大切かと。老婆心ながら・・・
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実は僕は小さい時からずっと両親から、勉強しなさいということを言われたことがないんだよね。記憶を何度もたどってみるのだけれど、ないんだな。
聞こう聞こうと思っているうちに、父は56歳の若さで死んでしまったし、母はくも膜下出血を機に認知症になってしまったのでやっぱり聞くことが出来なくなってしまった。真実は闇の中だね。
勉強しなさいとは言われなかったけれど、田んぼや畑の仕事を手伝えとは、しょっちゅう言われたね。小さいながら、親は勉強より働くことのほうが大切なんだなと思っていることを、実感して育ったね。おかげさまで高校も大学も学費を自分で支払っていくことは苦じゃなかったね。なにせ、小さい頃から働くことが優先順位だったからね。
高校時代徹夜で勉強して朝9時ごろまで寝ていると、父は不機嫌だったね。休みの日なんだから仕事を手つだえってことだったんだろうな。還暦を過ぎても多忙な僕だけれども、多忙さにめげないのは、親のお陰だと思っているよ。感謝だね。
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親が低学力で精神性が貧しいと、子どももそうなる確率は非常に高くて、これが何世代にもわたって続くと、経済格差どころか人間格差にまでつながってしまう。この問題とどう向き合い、どう解決していくかを、志高い教師は模索している。
収入がなければ無いなりにもらえるはずの援助や教育資金を申請するすべも分からず、確定申告すれば戻ってくるはずの所得税の還付方法も知らない。心ある教師はそういった親御さんを市役所まで連れて行き、書類をもらってあげて、その申請書類の下書きまでしてあげている先生がいる。そういった先生方を僕は存じ上げている。
もう一つは見えない障害だ。黒板の板書ができない生徒のほとんどがなにがしかの学習障害を抱えている。履歴書の下書きをさせれば、小学校1,2年生が書くような文字と内容。これでは就職がままならない。全国で300万人いるいわゆるニートの予備軍になってしまう。ある会社の人事をやっている何人かの友人がいるのだけれど、障がい者手帳があれば採用ができるのにという声を聞く。会社では障がい者を採用しなければならない割合を国から義務付けられている。しかし親御さんに障がい者手帳の取得を提案すると、ほとんどの親御さんは「うちの子は障がい者じゃありません」と言って、かたくなに拒絶する。その結果就職が決まらないまま卒業という状況が生まれる。
自分のこどもは誰でもかわいい。尊いかけがえのない存在だ。しかし自分の子どもの能力を客観的に見る視線も必要だろうと思う。高校生でローマ字が書けない、分数の足し算が出来ないという生徒は多い。しかし単に勉強嫌いで出来ないのはわかるものだ。中学や高校は塾のような個別指導は出来ない。家庭環境の劣悪な状態の中で、飛翔を願う子どもたちは多い。
今、教育は大きな分岐点にある。英才教育や早期教育の陰に隠れてただ教室に座っているだけの生徒に、自立ある教育を施すカリキュラムが急務だ。労働をする権利があるから、労働をしない権利もあるだろうとのたもう若者がいる。でも、私たち人生の目的は、終わりなき成長だと思っている。人間が人間と交わることなくして、成長はないのではないだろうか。
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僕ら人間にとって、良い意味でも悪い意味でも制御できないのが忘却というワザ。辛いことや悲しいことは、時が経てばその体験を勝手に脚色して都合の良い人生訓や教訓に変えて、一種の虚構にすり替えてくれる。かと思えば、生々しい映像が時に激しい感情をも巻き込んで、記憶からいっさい去ることなく居座ることもある。
その選別をやっているのが、我々の脳であり、さらにその奥にある無意識の世界だ。近頃東大生などがテレビに出て、クイズ王なる戦いをやっているようだが、凄まじい記憶力だ。きっと羨ましいと思っている受験生も多いのではないだろうか。
偏差値が高いとか頭がいいとかの基準は、暗記力ということになるだろうか。僕は記憶が消去できない脳も、一種の記憶障害じゃないかという勝手な見識を持っている。一個体の人間をそれほどまでに不平等に神様は作ってはいないはずだ。
40年間塾業界に足をどっぷりと浸かってきた。その間10年ほど高校の講師をダブルヘッターでやってきた僕だが、学年でトップクラスの生徒が、本当の意味で優れているのかというと、僕は批判を覚悟で述べさえてもらうが、NOだ。何かに特化している人間は、必ずと言っていいほど、どこかにその揺さぶりが現れる。
昭和を代表するとある歌い手は、歌の歌詞とメロディーは即座に覚えられても、買い物などのお金のやり取りはまったくできなかったという話を聞いたことがある。生徒の事例は控えさえて頂くが、抜群の暗記力を誇る生徒には、なにがしかのディフェクトが付随するケースが多い。
社会的適応能力をはかる目安を、IQや偏差値などの脳の活動にフォーカスしすぎるあまり、本来尊重しなければならない大切なものを現代人は忘却してしまっている気がしてならない。日本の教育が偏差値教育に傾き始めた頃から、日本のかつての基幹産業だった農業が衰退し、右肩あがりだったGNPが経済力の疲弊とともに疾走してきた。産業構造の立て直しが今必要だと、老婆心ながら思うこの頃である。
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2007年に書き始めたこのわくわく日記も14年の歳月が過ぎた。アップした記事は5000稿を超え、14年間の総アクセスは174万を超えた。自分でも驚いている。飽きやすい性格の僕にしては上出来の継続力だった。ちょっと自画自賛(笑い)。
14年間で当たり前だが14年の年を数えた。46歳で慣れないパソコンに向かい始めた僕も還暦を過ぎた。世の中はまさに激動の14年間だった。
東日本大震災から10年を迎える。コロナ禍の中で迎える10年目の3月11日。悲しみも辛さもそまだまだ続いていくけれど、希望はある。
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怒りが湧かなくなってきた。きっと大人になったのだろうと思う(笑)。理不尽なことに対する怒りって、怒ってどうなるものじゃないんだよね。自分が疲弊するだけ。ゆえにスマイル。
人間ってそもそも利己的な存在。そうしないと自己の存在が保てないからね。助け合いって言葉があるけれど、それはお互いに利益がもたらされるから助け合うのであって、ワンウエイの援助を惜しみなくする人は、天使かもしくは最強のド変態だね。
人は利己的な存在だということが理解できると、少々の理不尽さには動じなくなるね。それが今の僕の心境。自分で言うのもなんだが、感情衛生上悪くないね。
お金もそう学歴もそう容姿もそう。みんなこれらのことにお金をつぎ込んで頑張ろうとするのは、当たり前のことだけれど自分のため。いわば自己の遺伝子を後世に残そうとする利己的遺伝子のなせるわざなんだよね。だから、僕のような爺になると、なにも身体的には後世に残すものがなくなってしまっているので、利己的遺伝子はOF状態。車で言えばニュートラル状態。ガソリンも食わないしね(笑)。
その点若い人は大変よね。煩悩のかたまりだもんね。でもね考えてみりゃ、煩悩があるがゆえにあの若いどろどろの時代を生き抜いていけるのかもね。僕はそんな煩悩の話を生徒たちとよくする。「先生それ下ネタだよね」って言われるけれど、あくまでも煩悩の話さ。
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岩手県の公立高校の入試が3月9日にやってきますが、それ以降無料体験指導を随時受け付けて行きます。希望者は遠慮なくどうぞ。無料体験者に対するしつこい勧誘はいっさいいたしません(笑)。よろしくお願いいたします。
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例えば起業なさった方が、事業に失敗し、独立なんかするんじゃなかったと考える。例えば結婚して夫の浮気の為にボロボロになった奥さんがいて、結婚なんかするんじゃなかったと考える。
公立の高校や大学を受験し、撃沈してどこも受からなかった受験生が、最初から私立を推薦してもらえば良かったと考える。
周りを見渡せば、結構ある事例だ。
子どもが生まれれば、子どものことで悩み、孫が生まれれば孫のことで悩む。
何もアクションを起こさなければ確かに悩むこともないかもしれないが、しかしどう考えてもそれは違う。
僕らはあえて言うならば、失敗するために生まれて来たのではないだろうか。そしてその失敗による悲しみや辛さが、各人の魂をさらなる高みへと押し上げて行くのだろうと思う。僕はそう考えている。
日々楽しい人生は、確かに愉快で面白いだろうけれど、果たしてそこに真の成長はあるのかというと、無いな。
金に苦労すればこそお金のありがたさが分かる。病気を経験するがゆえに健康のありがたさを実感する。そこに人間の深みが生まれてくる気がする。
経済格差という言葉が巷に闊歩しているが、そんなものはあって当たり前だ。全部が平等の世界などあるわけがない。ストレスと葛藤が錯綜する人生だ。
しかしそのような世界だからこそ、人は頑張る。自分の世界を構築するってことは、他人との比較でもないし、社会の中の尺度でもない。自分が納得し、一人でも二人でもあなたがいて幸せなら最高の人生だと思う。
今、とっても不安が充満している。でも大丈夫。この状況は試練でもなんでもない。粛々と対応して生きて行けばいい。
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世の中に氾濫しているスピリチャル本。私に神が降りてきて、神様がこう言っている的な本が増殖中。
神様が~なんて言う表現にうんざりしている人間の一人が僕。どうして私はこう考えるとか、僕はこう思っているという表現じゃなくて、神様が~なんだろうね。
不具合が起きた時に、神様に責任を押し付けようという魂胆なのか、神様を主語にすれば、何を書いても許される思っているのか、JK的言葉を拝借して申し上げれば、ウザイ!
こういった神様を乱用する輩が多いゆえに、神様の威信が勝手な人間の都合で貶められている。悲しいかなである。
神様をなめたらあかんでよ⚓
神のみぞ知る!
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昨日は一関修紅高校の卒業式に参列した後、入試が差し迫った塾生の合格祈願の最後の仕上げに、奥州市の駒形神社に出向きました。塾を開校以来ずっとお世話になってきた神社です。
毎年この時期の駒形神社は雪も消え、春の光が境内に満ちる季節ですが、写真のようにものすごい残雪が境内にひしめき、今年の冬の過酷さを物語っていましたね。
駒形神社と言えば77の奇跡ですが、やっぱり例の交差点に差し掛かると一番前の車が77のプレート番号。水沢は僕にとってかなり特殊な場所なんですかね。先日、僕が提唱した岩手六芒星にあやかって、水沢の方が市内の小学校の校庭に六芒星のプレートを置いて、宇宙から撮影した写真で六芒星をとらえることが出来たというニュースをやっておりましたが、水沢はやっぱり特殊です(笑)。
卒業式を迎えても、進路が確定していない高校3年生の皆さんはいろんな意味で不安だろうと思います。でも間違いなく春がやってきます。自分が進むべき道に躊躇しないでくださいね。
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