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努力という字が嫌いだという人をたまに見かけます。確かに女の又の力なんて、ちょっとですよね。静謐感が無いと言えばないですが、人生努力が全てではないですよね。
さだまさしさんの『無縁坂』という歌の中に、♬運がいいとか悪いとか人は時々口にするけどそういうことって確かにあるとあなたを見てて・・・・♬ってフレーズが出てきます(古い歌ですが…笑)。この歌の歌詞が子どもながらに衝撃でしたね。運てなんだ!なんてかねごん少年は真剣に考えましたね。さらに昔の話になりますが1963年の東京オリンピックの頃、福島出身の円谷選手というマラソン選手がいました。日の丸の重圧だったんでしょうね。自殺をしてしまうんですが、その話を聞いた時、なんか頑張るっていやだな~て思いましたね。
そのような影響がどこかにあったのかもしれませんが、努力が嫌いな子どもになってしまいましたね(笑)。正確に言うと人から強制されることが嫌いな人間になっていましたね。もともとがそのような特性を持っていたのかもしれませんが・・・
僕は高校でも塾でも、生徒が要求しない限り宿題なんてものは出しません。宿題をこなす生徒って確かに優秀ですが、その生徒が持っている才能を限定してしまっているのも宿題ですね。これをやっていればいいかという感覚は、依存的で自習性が育ちませんね。これはあくまでも僕の主観なのであしからず。
話を運に戻しましょう。運がいい人って初めから運がいいんでしょうね。生まれた家の経済力や身体の丈夫な遺伝子、そして教育をしっかり施す両親の影響。これは後天的に自分が大人になるまではなかなか変えられませんからね。今はやりのスピリチャルで言うと、子どもは親を選んで生まれてくるらしいので、運は僕ら個人の自己責任ということになるんでしょうかね。
20代の頃、僕は家庭教師派遣をする会社に籍を置いていました。当時はバブル全盛時代。岩手に於いてもその恩恵は浸透していて、大学進学率が軒並み伸び始めた頃でした。田舎町故、まだ大学受験の英語を教える塾が無かったものですから、受験英語を教える家庭教師は結構需要がありましたね。英語辞書を抱えていろんな家庭にお邪魔させていただきました。
いまでこそ格安の家庭教師派遣が増えていますが、当時は教える単価はめちゃくちゃ高かったですよ。半分が会社の利益になる仕組みでしたので、僕にはバブル的なお金は一切入って来ませんでしたが( ;∀;)。お医者さんだったり会社の経営者、公務員のお宅が多かったですね。家庭教師業に邁進する日々、あることに僕は気づいてしまいましたね。お金があるおうちって共通点があるんですよ。
立派な仏壇が明るい場所にあること、そして神棚には立派なお社があって神々しい美しさがあること。そして庭の北東の鬼門にはほぼほぼ石宮等のお社が建っていること。当時は信仰心のかけらもないような人間でしたので、お金があるうちは違うな~なんて言う感じでぼ~とみてましたが、ひょっとするとこれって大切なことなんじゃね~って気づいたんですね。
その後独立して寺子屋を開設した僕がやったことは、なけなしのお金をはたいて仏壇を買い、神棚の社を買い、そして杉木立に埋もれていた明神様の土台を新しくし、鳥居も作ってしまいました。その結果お金持ちには残念ながらなりませんでしたが、30年以上にわたり、氷河期と言われる塾業界で生きてくることが出来ましたし、なによりも若い頃身体が弱かった僕が、30年間ほとんど一日も休むことなく仕事をさせて頂いてまいりました。努力が好きじゃない僕にしては上出来です(自画自賛)。
頑張ってもうまくいかない人生じゃん、なんて自虐的になる前に、実家や自宅を見回してみてはどうでしょうか。神棚に何十年も前のお札が埃をかぶって堆積していませんか。仏壇の扉が地震で歪んでパタパタしていませんか。庭の石宮が苔むして倒れていませんか。僕は運を持ってくるのは僕らをこの世に導いてくれたご先祖様や産土(うぶすな)の神様だと思っています。受験を指導していると、生徒たちの運みたいなものを垣間見ることがあります。偏差値だけでは割り切れない何かがありますね。
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親孝行をしたいときに親がいずと言いますが、その点僕はラッキーだと思っています。母親の介護生活に入って5年目に突入しますが、母がいつ逝っても後悔しない日々を過ごさせて頂いております。
実は父親を29歳で亡くしてから、高齢になった祖母を面倒をみてきました。母は外に働きに出る人でしたから、昼のご飯の準備や祖母の買い物は僕と家内の役割分担。実家に戻って寺子屋を始めると同時に田んぼをやり始めましたので、四半世紀の間家内と息子たちが神奈川の実家に行くのを除くと、家族旅行などというものは皆無でした。今のように介護専門のデイサービスやショートスティなんて無い頃でしたから家を空けることが出来なかったですね。
今はショートステイを利用して母を定期的にみていただいているので、たまの休みの日や時間が空いた時は家内と温泉や近くのカフェなどに出かけています。こんなことが出来るようになったのもここ4年くらいですかね。自分で言うのもなんですが、神社に行くことだけが趣味の多忙人間でした。
稲作農家を廃業してのち、3年前に家内と結婚30周年の旅行をしましたが、GWに家を空けるなんて人生初でしたね。田んぼをやめて初めてお米を作る大変さを客観的に実感できました。不思議なものですね。
認知症になった母親に先日、「俺の仕事なんだか分かるか」と尋ねたところ、パチンコという答えが返ってきました。しばらく笑っていましたね。
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どこかで○○先生の自己啓発セミナーの講演があると聞くと、速攻で出かけて行くひとがいますよね。宇宙波動とか悟りのなんちゃらだとか、パワーなんとかなんていう名前に惹かれて、知らぬ間に怪しげな高価なグッズを購入してしまっている人いますよね。変な宗教にハマらずともギリギリのラインの方々を多く見かけます。
いくら本を読んでスピリチャルの知識を吸収しても、いくら感謝の心が大切だとか、ありがとうの言葉が人生を変えると言っても、行動が伴わなければ、残念ながらそれらの知識は絵にかいた餅のようなもの。何かにすがりつくことで心の安定を求めるのはわかりますが、依頼心だけを構築してしまう信仰や神頼みは心のどこかにスキを作ってしまって、本当の自分の進むべき道を探しあぐねてしまう危険がありますね。
これはいい大学に入れば、人生は勝ち組だと考える思考と似たところがありますね。知識や情報の習得は大切ですが、その知識が世の中に還元されて初めて、その人の知識が評価されるんだということを知っていないと、どっかで大きな壁にぶち当たります。
人は何のために生まれてくるのかという、人類にとっての永遠のテーマがありますが、僕は人が人に出逢うために生まれてくるんじゃないかと考えているんですね。素晴らしい出逢いを果たすために僕らは学ぶのではないでしょうか。したがって学びによって横柄になったり知識があるゆえに人を見下してしまうと、大切な出逢いにも気づけなかったりしますね。
誰もが幸せな人生を送りたいですよね。でもその幸せを外ばかりに求めて自分が持っている素晴らしさに気づけない人が多い気がします。昨年から、六芒星の神社を巡りたいというお話をずいぶん頂きます。お金はかかりませんが、ミニロッククライミングあり沢登りありの結構わくわく感満載の神社巡りです(笑)。熊さんの気配バリバリの里山散歩ですので、できれば一人の探訪は控えたほうがいいかと思います。この六芒星巡り実は人との縁をものすごく作ってくれますね。怪しげなセミナーより健康的ですし、自然をバリバリ満喫できます。ただちょっとガソリン代はかかりますが・・・( ^ω^)
先日とある方から、先生は軽トラックで神社巡りが出来ていいですね。私はなかなか時間がなくて趣味的な事は・・・というお言葉を頂戴しました。確かにさすらいの自営業者なので誰かにこれをやりなさいと言われる仕事ではないのですが、参考までに僕の日々のルーテインを。
朝は毎日5時50分に起床します。母が5年前から認知症になって、下の世話に関しては妻に対して拒否権を発令するようになり(笑)、僕がやらざるを得ません。食事を与え、その後は妻にバトンタッチ。僕は7時50分市内の私立高校に向かいます。今は高校3年生の授業がなくなりだいぶ空き時間が出来ていますが、通常は1時間目8時55分から夕方3時25分まで、英語表現・コミュニケーション英語・現代文・国語総合古典・国語表現の5教科を教えています。
3時40分塾に到着、掃除や準備を終えると、4時ジャスト塾生がやってきます。寺子屋塾なので、各自自由にやるべきところをやり、帰って行きます。震災以降は自分一人で教えられる人数に制限しておりますので、1日にやってくる生徒は10名ほど。最後の生徒の指導が終わるのは夜9時くらい。
帰宅途中毎日寄るのがスーパー。9時過ぎになると半額になった食材が結構あるので、そこで母の好物の刺身などをゲット。帰宅は10時ちょっと前かな。それから母の世話と、自分の夕食。手前味噌ですが、奥さんの料理は美味しいですね。30年間一日も風邪でダウンしない僕の身体は、彼女が作り出す食事のお陰だと思っています。
風呂に入って11時から12時までの時間、パソコンに向かってパチパチ。このブログやフェイスブック等の記事の作成と、ご父兄等からやってきているメールの返事などなど。スマホを持たずガラケー携帯の僕は、自宅でしかSNSをやりません。教室にはWi-Fiを設置していますので、塾生はパソコンを持ち込んで宿題等をやっていますが、僕はあえて塾にパソコンを持ち込んではいません。生徒との対話を重視したいという僕のけなげな努力です(笑)。12時30分熟睡。
さて祝日や日曜日は3時間ほど卓球の指導に出かけます。男子中学生の指導ですが、コーチを仰せつかって14年目に突入しました。還暦を過ぎ引退も考えていますが、うまく口車に乗せられてやめられません(笑)。これから春を迎えます。母の介護を期に5年前稲作農家を廃業しましたが、甲子園球場ほどの休耕田を年に3回ほど草刈りをしなければなりません。これが老体に響きます。ゆえに整骨院の領収書がたまる日々となります。草刈りの作業が、卓球の体力を作っているともいえるわけで、複雑な心境( ;∀;)
受験指導をしている生徒さんは勉強が大変だと思います。高校や大学の学費を捻出する親御さんも大変です。生きるってことは確かにいつの時代も大変です。でもこの地球に生を受けた僕らは、間違いなく僕らを待っている人がいます。そしてギブアンドテイクの人生の中で成長していく存在だと思うんですね。今日は長い駄文になってしまいました。あしからず。
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僕が怪しげなものをよく教室によく置くものだから、生徒は慣れっこになっている。意味を問われるのだけれど、僕も自身も分からない(笑)
教室に貼っていた六芒星の地図を呆れて眺めていた生徒たちだったが、新聞や週刊誌で紹介されたものだから僕のド変態性を改めて認識したようだ。なにせプレアデス星人だからな・・・(爆笑)
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大学入試の現代文の指導ほどモチベーションの持って行き方が難しいものはない。数学の公式や英語の構文のような定型の指導があれば、それなりのアクションが生徒から返ってくるので受験生の進展状況が見えてくるのだが、現代文は悪い意味でもよい意味でも闇が深い。
抽象的な国語力を伸ばすのは、読書量や読書の質はもちろんだが、会話力や感情力のような、人間そのもののあり方を読み取る力が必要とされる科目である。とくに小説における4択の設問などは、筆者の意図というよりはもはや大学入試を作成する出題者の意図をくみ取らなければならない。
そんなに勉強しなくてもそれなりに点数がとれる現代文ではあるが、それなりの勉強では決して高得点をとることが出来ない教科であることも間違いない。国語教師には気の毒な話だけれど、高校の3学年も中盤以降になると、受験生にとって現代文の時間は、英単語の暗記だったり、数学の証明問題の解法等の内職の時間と化している。かく言う僕も、高校の現代文は英単語の暗記に没頭していた。なんとも失礼な生徒であった。
現代文を攻略する力は、当然ながら英文の読解力にも、数学の証明問題にもリンクして行く。現代文はなかなか定着度の実感を味わうことが出来ない受験科目ではあるが、人生を歩んでいくにはもっとも必要な勉強科目だと思う。現代文を高校で教えている僕だが、ゆえに脱線ばかりして進まない( ;∀;)。
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出身大学別でみる30歳の年収のトップ3は・・・・
第一位 東京大学年収763万円
第二位 一橋大学年収697万円
第三位 慶応大学年収687万円
自分が30歳の時は塾を始めた時で、確か年収は30万くらいだったかな(爆笑)
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10年前まで、大験セミナーの自習室教室を使って、家内がシュタイナー教育を取り入れたアート教室風と虹を開講していましたが、今は自宅でお母さん方を中心とした癒しアートの教室を開催しております。
今回一関三関のレストラン、プチフランセさんの御厚意で、家内の作品を展示させて頂いております。美味しいランチを頂いたついでにちょっと視線を送って頂ければ幸いです。m(_ _"m)
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ライナス:What's the cure for disillusionment, Charlie Brown?
「悲しみを癒してくれる薬ってどんなものかなぁ」
チャーリー:A chocolate-cream and a friendly pat on the back.
「一粒のチョコレートと背中を友達がポンと叩いてくれることだよ」
毎年バレンタインデーが近づくと、僕はチャーリーのこの言葉を思い出す。
悲しみを癒してくれるのは、友達のさりげない優しさだ。
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ここ10年ほど、僕の意識は縄文に向けられてきた。何故に縄文なのかと言えば、縄文の巨石文化と流れるような火炎の芸術に魅せられた結果としての縄文オタクと言うところである。そもそも地球上の文明の進歩は、過去から未来に流れる一本の道筋などではなく、何度かの終焉を繰り返しての、つづら折りなす繁栄と衰退の文明だったのではないかと考えている。
キリスト教文明とも言える現在の地球文明は、わずか2000年のスパンで石斧の時代から宇宙に飛翔する文明にシフトしてきた。そういった人類が、1万年~数万年と言われる期間を進化することなく狩猟採集の民として暮らし続けてきたはずはなく、高度文明が何度か築かれてきたと考える方が自然な歴史的感性のような気がする。
それを踏まえて考えれば、縄文時代を起源とする環状列石や磐座の信仰は、古代高度文明の遺跡の残像ではないかと夢想する僕である。例えば奈良時代から日本に伝播した五芒星や六芒星の幾何学模様は、縄文時代の超古代文明が宇宙エネルギーを取り組むために作り出した一種のエキセントリックな科学技術であり、古代の英知をキャッチ出来た霊媒体質の先人たちが、時代時代に即したツールとして、宗教や祈りに利用してきたパワーアイテムだったと考えることも、想像を掻き立てる妄想としては楽しいのではないだろうか。
中国から伝わった風水や五行説のような思考体系は、はるか昔の文明人が生み出した当時の最新のテクノロジーで、地球上を縦横無尽に駆け巡るマントルや磁場、そして宇宙から降り注ぐ多種多様のエネルギー光線を月や星々の位置エネルギーを利用して、時に覚醒させ時に抑制してきたのが環状列石をはじめとする磐座巨石のレイラインだったのではないか、そしてそのテクノロジーの残像を追い求めた古代人の遺跡が、僕が追い求めるアラハバキ神のルーツではないかと妄想する日々である。
4年前に提唱した一関を覆う六芒星の磐座は、縄文時代から受け継がれてきたエネルギー場であり、そのエネルギーをキャッチ出来た巫女的存在の祈りが、阿弖流為や坂上田村麻呂やそして安倍氏一族らのが生きてきた時代の中で、覚醒者のツールとしてのその役割を担ってきた気がする。そんな妄想が還暦を過ぎた爺の頭の中を駆け巡る。
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国際癌研究所が携帯電話の電磁波に、発がん性があるかも知れないと報告がなされてからだいぶ経った。
電磁波の問題は、放射能の問題同様見えないだけに、我々の意識からその危険性が薄れる傾向にある。
子どもたちの脳に対する電磁波の影響を研究してきた科学者の声が、聞こえてこないのは、放射能同様マスコミが黙殺しているからだ。公表されないものは無いことに等しい。不思議な国だ。
世界ではこどもの携帯使用の規制を促す勧告が多く出されている。日本はどうだろうか。テレビのCMにおいて、携帯電話会社のスポンサーが無い番組は無いと言っていいくらいだ。ゆえに携帯電話の危険性を報道する番組など流れるわけはない。自動車会社がスポンサーになっているテレビドラマで、交通事故死の場面が決して出てこないのも同様の理由だ。
これはかつて、東京電力が多額のブラックマネーをテレビ局にばら撒いていた頃の状況とかわりがない。金の力が、有識者の言論を黙殺する。大人に比べると水分が多い子どもの脳は、電磁波が浸透しやすく、影響が大だ。太陽光発電によるオール電化が普及してきたが、火を使わない電磁波によるコンロはものすごい電磁波を放出する。妊婦の方や子どもに料理をさせられる安全性には程遠い。羊水の中にいる胎児に与える電磁波の影響は、現代社会ではますます増え、妊婦の方々を守る啓発が行われなければならないのに、社会は沈黙している。5Gの高速さを携帯電話会社はアピールしているが、電磁波の正確な数字を公表する方が先だろうと思う。
我々の塾産業でもそうだ。児童の安全と称して、塾の入出時間や退出時間を携帯端末を利用して親御さんに知らせるサービスが普及しているが、携帯電話会社の策略に乗ってはいけない。
児童に携帯電話はいらない。身体の安全のために持たせる親御さんが増えているが、逆に危険な状況を作ってしまっている。子どもを守るという意識を、社会の産業や経済のからくりで、ごまかされてはならない。
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僕の夢 作詞、作曲 by かねごん
1
幼稚園の頃だった
大きくなったら何になるの
聞かれるたびに僕は
ウルトラマンですと答えた
さすがに小学校に入ったときは
ウルトラマンとは答えづらく
ちょっとごまかしてウルトラの父ですと答えた
地球を守るすごいやつ
僕は心から尊敬していたんだ
でも、母ちゃんにおこられた
もっとまじめに答えなさい!
大人になるまで悩み多き子ども時代
いつの日かすてきな大人になってやる
それが僕の夢
2
あれは忘れもしない
小学2年の秋だった
僕が家に帰ると
突然弟が生まれていた
その日から僕はおにいちゃんと呼ばれ
うれしいんだけど複雑な気持ちで
母ちゃんのおっぱいを飲んでいる
弟が少しだけ羨ましいかったんだ
今弟は幼稚園で
仮面ライダーになりたいと言っている
きっと将来僕の家は
怪獣だらけになってしまうだろう
大人になるまで悩み多き子ども時代
いつの日かすてきな大人になってやる
それが僕の夢
この歌は僕が18年前に作った曲です。18年間で延べ20校以上の幼稚園や小学校で歌ってきました。児童たちはこの歌で爆笑するのですが、必ず講堂や視聴覚室の片隅で、目頭を押さえる先生方がいます。子ども達を思う心がリンクする一瞬ですね。
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いよいよ今日が50代最後の日。38年間塾業界で生きてきた僕はある意味変人。かなりのド変態と言っていいだろう。
近年、卒塾生のお子さんや、甥っ子姪っ子さんが多く入塾して頂いている。それと同時に教え子の皆さんの親御さんの訃報も増えてきた。そういう年回りなのかもしれない。年月の重みを感じる。
5年前までは稲作農家と高校の講師と塾経営という三足の草鞋を履いてドタバタの日々だった。そこへ母がくも膜下出血で倒れ、介護状態に。塞翁が馬じゃないけれど、母の介護を通じて多くを学ばさせていただいている。稲作農家が生協からお米を買って食べることに、最初はものすごい罪悪感があったけれど、稲作農家を離脱したおかげで、趣味の神社巡りが加速して、いわて六芒星などというものまで提唱してしまって、昨年は稲作をやっていたときよりも取材攻勢で忙しかった(笑)。
振り返るといろんな道を歩んできた。あとどれくらい僕の道が続いているのか知る由もないが、生かされているうちは前進し続けようと思う。
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コロナ禍のなか、多くの地元自営業者の方がお店のやりくりに必死の毎日です。飲食店さん・旅館業者さん・酒屋さん・そして観光業のみなさん、皆さんあの手この手の知恵を振り絞りコロナに負けないよう頑張っています。
大手の店で買うことはもちろん自由ですが、地元の個人業者さんのお店にちょっと立ち寄ってみませんか。温かい会話の中に、多くの発見があります。そしてなにより人の縁が広がっていきます。
かく言う僕も個人業者です。資金力のある大手とは同じ土俵では戦えません。隙間をぬってどうにか生活をさせて頂いております。
地元のお店は駐車場がないとか、品ぞろいが悪いとか、いろいろご不満もおありでしょうが、人情というふか~い愛情がいっぱい溢れています。ぜひ地元の個人業者さんのお店を応援して頂けないでしょうか。
どこの街に行っても、バイパスに軒を並べるお店は、同じものばかり、便利なのかもしれませんが、その画一さは、なんか寒々とします。地元の個性あるお店がなくなるのはさびしいです。みなさん応援お願いいたします。m(_ _"m)
間違ったからと言ってがっかりしないでくださいね(^^♪
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高校の時に、お金の稼ぎ方を教えてもらった人手を挙げて!
いないんだよね。受験の科目や簿記や芸術・体育はやるけれど、お金持ちになる方法は誰も教えてくれない。学歴があれば金持ちなる?いやならないな。
お金持ちになるのに一番必要な事は、お金持ちになる勇気だそうだ。
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