最近のトラックバック

« 商標登録 | トップページ | ですよね~ »

2021年1月23日 (土)

このコロナ禍のなかでの葬儀が

実は僕のブログを見て頂いている方々の中には、有名な神社の神職の方や、由緒あるお寺のお坊さんがいらっしゃる。さらには教え子の坊さんや、そして塾の御父兄の中にも。その状況下で葬式の話をさせて頂くのは気が引けるわけだけれど、ちょっと書かせて頂く。
そもそも亡くなった方に法名が必要なのかということである。新型コロナウイルスの影響で経済格差が広がっている日本社会において、法名代に50万円も100万円も支払うことは、いくら故人の供養のためといえど、厳しい状況である。供養のために借金をして自己破産などという悲しい話も聞く。
かと言って、仏教のお葬式よりも,神葬祭の葬式が格安だからと言って、神道の信仰のない方を神葬祭で祀るのもいかがなものだろうか。
確かに国民の信教の自由は憲法で保証されている。しかしである。形骸化してしまった葬式の儀式について、ある程度金銭的な制約を法的にかけないと、亡くなってた方のご遺体を、お金がないので放棄なんどという痛ましい事件が増えるのではないだろうか。
例えばお金がない方のために、市町村が窓口になって火葬及び埋葬・告別式の費用を5万円ぐらいでやってあげるような互助会制度が必要なのではないだろうか。地域によっては実施しているところもあるようだが、戒名がなければお寺では祀れないというシステムは限界のような気がする。
成仏したかしないか、そんなことは誰にも分らない。失礼だが、お経を唱えているお坊さんにも確信がないのではないだろうか。
今回は50万円の戒名料を頂きましたが、成仏できそうないのでお金を返しますなどということにはいかない世界。逆にそういった世界だからこそ、高額なお金が行き来する世界でもある。
お金をかければ成仏するという幻想とらわれて、それに便乗しているのが、お寺の葬式なのではないだろうか。
お寺の法名代は値切るもじゃないとか、言われるが、高くて払えなければ、俗名のまま納骨すればいいだけだ。
家族で手をあわせ故人に感謝の言葉をささげ花を手向ける。これでも立派な供養のような気がする。
田舎は特にそうかもしれないが、結婚式にしても葬式にしても、見栄を張りすぎる。隣人の家の時は7000円ぐらいのお膳がついたので、うちでもしなければとか、ごちそうになってきて、うちでやらないわけにはいかないとか。そういう感情が、どうしても離れないのではないだろうか。
葬式のあとの初七日の法要を見ていつも思うのだが、あの酒の量とお膳の料理の数は尋常じゃない。まるで酒宴だ。
お金がなければないなりの供養がある。無理をする必要はない。
お金があって盛大にやりたい方はもちろんどんどんやってかまないだろうが、そういった方々の金銭感覚が、お寺さんの経済感覚を麻痺させてきた現実は否定できないだろうと思う。
寺子屋を営んでいて、お金のことは頻繁に実感する。5000円の月謝を支払うにも大変なおうちがある。申し訳なさそうに電話をしてきて、3か月ほど先延ばしにしてもらえませんかなんて言う電話は毎年だ。
まして家族が急に亡くなった時の葬儀代なんて言ったら青天の霹靂。50万100万のお金が重くのしかかる。
お金がないのは、保険に入っていなかった自己責任だなどとおっしゃる方がいるが、息子や娘を学校に入れるために、親ごさんが保険の解約をして入学金にあてている現実を知ったら、そんなことは軽々しく言えない。
この事案は本当に深刻な日本社会の事案だと僕は思っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ ⇚ぽちっと一押しの応援お願い致します。

当塾のホームページはこちら☞➡大験セミナー

« 商標登録 | トップページ | ですよね~ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 商標登録 | トップページ | ですよね~ »