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2021年1月

2021年1月31日 (日)

本を読みすぎて鬱になったことがあります

昔々の話です。
実は本を読みすぎて鬱になったことがあります。高校受験に失敗してなんかやけくそになって文学書を手当たりしだい読んでいたんですが、ロシア文学に手をだしてしまったのがいけなかった(笑い)。ドストエフスキーだったかトルストイだったか忘れたけれど、人は個性とか生産性の幻想の奴隷となってしまっているみたいなことが書いてあって、きっと瞬時に洗脳されたんでしょうね。自分の中に強烈な社会批判が沸き上がってしまって、思想の土台ができていなかったために、バランスが崩れてしまった時期がありましたね。


高校時代・大学時代におそらく2000冊を超える本を読んだと思うんだけど、自分で言うのもなんだけれど、そりゃ鬱にもなるわいね。ですね。読んでも読んでも、毎年気が遠くなるような本が出版されています。何をチョイスするかで、多大な影響を受ける読書の世界、はまり込むと大変かもですね。


教え子の中にもものすごい読書家がいるのですが、僕は自分の経験を踏まえてちょっと忠告しています。読み過ぎも精神衛生上よくありません。ほどほどのスタンスをとるべきですね。書を捨て町にでようじゃないですが、自然との融和は大切ですね。30歳になって僕は山にはまりだしたのですが、今思うと頭でっかちのスタンスが中和されて、精神が癒されたきがします。


今も職業上本を読むことはもちろんあるのですが、月に10冊ほどですかね。そのくらいがちょうどいい感じですね。大学入試の過去問の論説文や英語長文を読むだけでも、かなりの量になります。僕が軽トラックで山に駆け上りたくなる気持ちを分かってもらえるかと思います。はい。

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希望というエネルギーを吸い取られないように

パソコンや携帯によるイジメの問題を何度か取り上げてきたが、『学校裏サイト』の掲示板への悪質な誹謗中傷によるイジメが原因で、不登校や自殺までもが起こっているという報道が最近なされた。本当に痛ましいことである。
 こうやってPCを使って雑文を日々書いている僕も間違いなくネット社会の一員であるが、トイレの落書き感覚でネットに書き込みを続ける若者達の増加に、彼らの不満や欲望の迷走を見る思いがする。スポーツや芸能の世界で華々しく活躍する同世代の若者達を、テレビやメディァで見続ける若者達は、どう感じ何をくみ取っているのだろうか。
 努力をしようにも、その努力をしようとする動機さえも見いだせない若者達が多いような気がする。まさに希望を失った若者世代が拡散し続けている。PCや携帯で相手を攻撃する若者達の動機は、いたって単純なものだと思う。それは、自分より不幸になっていく人を見て、自分の存在価値を見いだそうとしているのだ。
 何が彼らをそうさせたのか。僕は社会心理学者でもその手の専門家でもないので、確信的なことは言えないけれど、戦後続いてきた資本主義経済の富の追求が、人間が持つべき本質的優しさや道徳心を排斥してきてしまったのだと思う。お金を持つことが、人生の勝利者であるという無意識の波動が、子どもを、大人を、そして老人達をも拝金主義的人間に駆り立て、安らぎの心を喪失させてしまったのだと思う。
 「良い学校に入れない」 「良い会社に入れない」 「お金もない」 PCの前で、ひたすらバーチャル的快楽にふけり、現実感を喪失していく多くの若者達を救わずして、日本の将来はない。
 28歳の若者が、時給700円のバイトを一日8時間労働で1ヶ月26日間働くと、145,600円である。税金等を差し引くと年収で140万ほどだ。一方同年代の都会に暮らす一般企業のサラリーマンは、ボーナスを入れてゆうに400万円を超える年収になる。これが現実だ。「昔から金持ちと貧乏人はいた。今更何を言っているんだ」というご意見もあるかと思う。
 お金にとらわれぬよう抵抗しようとすると、お金という経済はますます強くなり手強くなっていく。意識すればするほど、現実として襲いかかってくる。経済や教育の問題も、そして若者達の希望格差社会の問題も、根っこの部分は同じような気がする。
 お金や学歴から放れ、自分が何をやりたいのか、大学を出ないといけないとか、お金がなければやれないという意識を取り払って、原点に立ち返ってみることが出来るかどうか、それが大切であり、根本的問題を解決する一歩だと思う。
 ~がないといけないという言葉の呪縛から放れることだ。よく言うではないか「人間生きていればまるもうけ」と。小さい頃「大きくなったら何になるの」と聞かれた時に、「○○になる」ときっぱりと言えたではないか。その時の輝いた眼差しは、間違いなく今も持っている。
 若者達よ、中学生や高校生達よ、自分の将来の夢や希望を、決して自分で否定してはいけない。否定する大人の話をまともに聞いてもいけない。どうせ~とか、絶対無理などと言う大人から離れなさい。希望というエネルギーを吸い取られないように。

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2021年1月30日 (土)

寒い!

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今年の記録的な寒さは、本当に老体にはこたえる。寒さで肩はごちごち。雪かきで腰は痛いし、薪割で背中はボキボキ。

高校3年生の授業が昨日で終わった。ほっとしたのもつかの間、来年度の塾は高校3年生がここ20年間で一番多い学年。さて、がんばろう・・・・

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2021年1月29日 (金)

当たり前のことを当たり前と受け止める勇気が欲しいね

日々わけのわからないつぶやきをアップしているハゲおやじだが、突然アポなしで人生相談にやって来る方が年に一人くらいいらっしゃる。「死にたい」とか「生きて行く意味が分からない」などの相談なわけだが、生徒がいない時はなんとか相談にのってあげるのだが、アポを取ることさえ出来ないほど衰弱しちゃっていたのだろうと思う。


プライドや社会的地位など、どうでもいいと言う人はいない。しかしそんなものがなくとも人間は生きていける。間違いなく生きていける。たとえ借金苦で自己破産をしたとしても、住民票があれば生活保護が受けられる。死ぬことはない。もう一度スタートラインに立ってやり直せばいい。サラリーマン時代、もしくは会社を営んでいた時に各種税金を支払い、地域や国に貢献してきたではないか。困ったときは国に面倒を見てもらっていいのである。


生きていれば必ずいいことがある。今は人生が冬の時代であるだけで、やがて春が来て、夏が巡ってくる。春の来ない冬などない。人が去ったとしても、それはお金や仕事の利害関係で結ばれていた人達だ。女房や恋人まで去ってしまったと言うのなら、所詮そんな関係だったのだ。また一から働いてもっと若いピチピチの女房をめとればいい。幸福な人生は仕事とお金で決定するという思いに社会ごと洗脳されているから、最悪の道を選んでしまいたくなる。還暦を過ぎて仕事に行き詰って自殺などの悲しい記事を目にするが、60歳も過ぎれば体力的にも仕事に行き詰るのが当たり前である。


還暦を過ぎてバリバリに一線で活躍しているほうが特殊なのである。そんな特殊なケースをお手本にして自分を苛む事なかれである。縁側で猫を相手に日向ぼっこの人生でも良いのではないだろうか。僕の父は30代半ば交通事故に遭い、生死をさ迷った。その怪我から回復したと思いきや、今度は癌を患い長い入院生活をしいられた。大黒柱を失った我が家はその間、生活保護で食つないだ。癌を克服して働き始めた父は、本当に強かった。中学しか出ておらず、学歴がなかった父は、家族のためにどんな仕事も厭わずやった。50代半ばで人生を終えてしまったが、僕にとって父は、父親という存在の大きな目標であり、尊敬する最良の人間である。


60年近い人生の中で、死にたいと思ったことがないと言えば嘘になる。辛いこともあった。しかし僕は生前の父の存在に救われてきた。人間は天寿をまっとうするまで、どんな形であれ生き続けなければならない。生きて行くことは時に過酷でボロボロになることがあるかもしれないが、それでも生きることは凄い価値があるのだ。僕はそう思う。

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2021年1月28日 (木)

頭が悪い!

頭がいい人間と頭が悪い人間がいるとするならば、たいていの人は頭がいい人間でありたいと願うに違いない。僕もそれを望みたい。しかし悲しいかな、自分をじっくり観察するに、僕は頭が悪い人間のカテゴリーに間違いなく入る。


人が話している難しい経済の話はさっぱり理解できないし、人の名前と顔がなかなか一致しない。学校の勉強にいたっては、高校の理数系はまったくもって歯がたたない。よく女房に、塾の先生だからそれくらい分かるでしょうと、叱咤激励されるのだけれども、分からないものは分からない。だいたい英語が専門だと言ったって、ハリー・ポッターの映画を字幕なしで見た日には、わけの分からない魔法用語が頻繁に出てきて、それに意識を向けていると、基本的な会話さえ理解するのがあやしくなって来る。所詮そんなレベルだ。


そういうことで僕は頭が悪いので、理解に苦しむ生徒の気持ちは手に取るように分かる。一応進学塾でもあるので、早慶や東大を目指す生徒がたまにやって来る。そりゃもちろん英語に関しては対応と言うのか、ポイントをアドバイスするわけだけれども、自習室で勉強している数学や物理の問題を見ていると、すげぇ~、こいつ神じゃないかと感心しきりのかねごんである。


頭が悪いやつには悪いなりの生き方があるというのが僕のポリシーなので、頭が悪いことを残念に思うが、決して悲観してはいない(笑い)。自分は優秀だから教える仕事をしているんだという方には、ちょっと不愉快な話かもしれないが、僕は頭が悪いから教える仕事をしている(つもりだ)。子どもたちに教えるには、鋭利な頭脳など必要ない。僕は技術だと思っている。つまり技術屋だ。さまざまな生徒に対応する技術を要求される仕事が、我々塾屋の仕事だ。


数学の2次関数を教えるのも、理科のイオン式を教えるのも、言っちゃあ悪いがコピット勉強すれば誰だって出来る。しかし教えることは出来るが、理解させるとなるとこれがそう簡単ではない。あの先生のしゃべり方が気に入らない。声がやだ。教え方がしつこい。香水の匂いがダメ。理解させるどころか、ソフト・ランディングさせるまでにクリアーしなければならないハードルがいくつも点在する。つまりそれらのハードルを生徒に適合させることこそ技術なのだ。


塾などというものは、嫌ならいつでもやめていいのだ。選択肢としての塾などいくらでもある。その先生がいくら優秀でも、いい大学を出ていても、生徒が納得しなければそこにGive and Takeの商売は成立しない。時にお笑い芸人のような捨て身が必要だったり、おっかない校長先生の役割が必要だったり、哲学者的威厳が必要だったりする。そのパーフォーマンス能力は、対生徒どころか、対保護者、対学校関係者まで、フィールドは拡散する。それが塾教師だ。


儲からない。休みがない。精神的にもきつい。それでも僕は32年間塾教師をやってきた。利口なやつならとっくにやめていただろうな。それだけ見ても、自分が頭が悪いってことは、明白なんだな・・・。

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宿題の量が・・・

高校や塾で教科指導している僕は、凄まじい量の宿題についてはちょっと懐疑的だ。宿題を出しても出さなくても伸びる生徒と伸びない生徒のパーセンテージは変わらない気がする。だったら自由の方がいいというのが僕の持論だ。世の中には素晴らしい問題集や参考書があふれている。パソコンでもそうだ。本当にやる気があるなら、いくらでも勉強ができる環境が整っている。

自分が担当している生徒が塾や予備校に行くことを毛嫌いする学校の先生がいることを知っているが、できない生徒の対処をいかに改善させるかと言う点について、はっきりいってやる気のない生徒への宿題は、火の中に油を注ぐようなもので、やる気の消失が爆発する。レベル差の激しいクラスでの授業は本当に難しい。僕も10年間高校で講師をやってきたが、どのレベルに合わせて指導するかは毎年悩む。しかし塾の個別指導ならそれが可能だ。中学レベルにも小学レベルにまでだって降りて行って指導することはなんら問題ない。これを学校の授業でやると、中には馬鹿にされていると思って、出来る生徒までがやる気を失う。

印刷機やパソコンの猛烈な進化で、大量の宿題・課題プリントが配布される日々、用務員さんや事務員さんの仕事が増加。おまけに生徒のバインダーやファイルは、宿題プリントで爆発しそうな状況だ。宿題をこれほど出すのは、学力や偏差値アップのためなのだと思うが、ほどほどと言うものがある。


古い話で申し訳ないが、僕らの頃は、冬休みと言えば、うすっぺらな冬休みの友が一冊。それでも僕はやらなかった(爆笑)。部活と音楽三昧で休みが過ぎて行った。当時の子どもたちが大人になって、ダメ人間になったかといえば、そんなことはない。立派な大人であるかどうかは別だが、しっかり家庭を築き、地に足を付けた生活をやっている。

教科の知識は少ないかも知れないが、間違いなく、人生偏差値は高い気がする。やる気を起こさせる導火線の構築が必要であって、宿題の量が必要なわけではない気がする。ちなみに僕の寺子屋は宿題をださない。いや正確にいうと出せない。学校の宿題を必死に聞いてくる生徒たちを見ていて、これ以上の宿題は不可能だ。

優秀な生徒には、宿題が邪魔だし、できない生徒には宿題は重荷だ。毎年頭を抱える僕は、この年になっても宿題に悩まされている。

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2021年1月27日 (水)

年をとってくると涙もろくてしょうがない

年をとってくると涙もろくなってしょうがない。教える仕事に就いて40年、授業中に泣くなんてことはまったくなかった僕だけれど、先日高校の現代文の授業をやっていて、涙で詰まってしまった。生徒たちは何ごとが起きたのかと戸惑った様子。いや~恥ずかしかった。

映画を観て涙することはあるけれど、自分の辛さで泣いたのは60年の人生の中で1回きりかな。あの時の自分の嗚咽は鮮明に覚えている。でも年を取って振り返ると、あの時のくやしさ、辛さがあったからこそ、今の自分があるのだろうと思っている。

僕は中学生の卓球の指導をやっているのだけれど、試合に負けるたびに泣く生徒がいる。正直羨ましいんだよね。くやしくて泣くことって自分にはなかったからね。根性とか忍耐とか叩き込まれた育った世代の性かな。運動をやる時は、水を飲むなと言われた世代だからね。まいっちまうね。

悲しい時は泣けばいんだよね。

 

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癒されるよね~

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今日は地元のカフェでパスタランチ。

食べていると猫ちゃんがやってきてにっこり。癒されるよね~(^^♪

 

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2021年1月26日 (火)

不確かな時代

頑張った先に報われる人生があるのが、ハッピーエンドのドラマ。かつての昭和時代の映画やテレビドラマは、苦難を乗り越えた主人公が人生の檜舞台に立ち、称賛をあびるのが定番のストーリー。サクセスストーリーの母体骨は、努力と汗、そして栄光の涙。

昭和の時代のテレビドラマは、ほとんどが戦争で家族や恋人を失った主人公が、戦争の焼け跡から奇跡の復興を成し遂げ成功を勝ち取る話。日本の戦後の経済復興を、強烈に印象付けるスポコンドラマや朝ドラが目白押しだった。

戦争という猛烈な負の側面が、逆に生の希求を激しく揺さぶる戦後の日本社会だった。努力をすれば報われる社会。いわばこの幻想を疑うことなく、高度経済という常套句に踊らされた日常を、邁進できた時代は、幸せだったような気がする。

2000年を迎えてから21年。インターネットやスマホの劇的な進化が、グローバル化を促進させ、ITを制する者は経済を制する世の中になった。多くのチャンスが生まれる一方、経済的生産性を生まない文化や産業が駆逐されてきた。そのつけが今後どんな形で我々に忍び寄って来るのかは知る由もないが、この不確かな時代に生きる我々が大切にしなければならないものが一つある。

それは、他人の価値感に蹂躙されない自分の創造性だ。それが枯渇したら人は努力を嫌悪する。

 

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2021年1月24日 (日)

言わばド変態

一関のような田舎町で塾を営むというのは、言ってみればかなりのド変態なのだと思う。そのド変態の暮らしを30年近く営んできた僕は、まさに変人の極みだろうと思っている。
塾の玄関に、「教えない放題」という至言が飾られている(笑い)。僕の塾は放任主義だ。生徒がやりたいところを学ばせ、質問があれば答えてあげることにしている。こちらから強制的に教えることはない。指導室には小学4年生から高校3年生まで、学年に関係なくいつも4,5人が机に陣取っている。
理科の電磁誘導の質問を中学2年生が聞いてくる。次の瞬間、中学1年生が連体詞と形容詞の違いを聞いてくる。しばらく沈黙があったと思うと、今度は高校1年生が2次方程式の解の公式を忘れたと言って聞いてくる。その後、僕に関係副詞と関係代名詞の違いを聞いてきた高校生は、気持ちよさそうに爆睡している(笑い)。
今年も受験にまつわるいろいろなドラマが生まれるのだろうと思う。僕はその子の人生にとって、人生が有意義に送れる学校に合格して欲しいと願っている。僕は受験をことごとく失敗してきた。故に塾教師をやっている。きっと僕の人生においてそれが良かったのだろうと、還暦が近づいた僕は思っている。

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ですよね~

振り返れば、人生谷あり山ありですね。谷の時も山の時も、自分は自分なんですが、気持ちが落ち込む時はやっぱり落ち込みますね。

原因はお金ですかね。がんばっているのにな~という時に限って結果が出なかったりすると、ガックシですよね。年をとればとるほど、自分を励ますことが大変なんですよね。自分だけならなんとかなっても、家族がいますからね。スタンスがフレッシャーみたいな。そんな感じですかね。

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最近こんなのを作ってみました。僕流のアートですが、このろくでもない世の中の不条理を駆逐するパワーアートです。材料はすべてリサイクルショップでゲットしたもの。弁財天と五芒星がワンポイントですかね。数字の6はろくでもない世の中の象徴です(笑)。

ま~宗教も神様もスピリチャルも、お金の世界にはつきもの。何とかしたい時の運頼みみたいなもので、人は弱いですよね。パワーストーンも風水も占いも、悪くはないのですが、行動が伴わない依存は、結果は望めませんね。

勉強も同じ。地位やプライドや利己主義の発露としての勉強は、人生を成功には導かないような気がしますね。世の中のために役立ちたいという希求が奇跡を生みますね。ですよね。

 

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2021年1月23日 (土)

このコロナ禍のなかでの葬儀が

実は僕のブログを見て頂いている方々の中には、有名な神社の神職の方や、由緒あるお寺のお坊さんがいらっしゃる。さらには教え子の坊さんや、そして塾の御父兄の中にも。その状況下で葬式の話をさせて頂くのは気が引けるわけだけれど、ちょっと書かせて頂く。
そもそも亡くなった方に法名が必要なのかということである。新型コロナウイルスの影響で経済格差が広がっている日本社会において、法名代に50万円も100万円も支払うことは、いくら故人の供養のためといえど、厳しい状況である。供養のために借金をして自己破産などという悲しい話も聞く。
かと言って、仏教のお葬式よりも,神葬祭の葬式が格安だからと言って、神道の信仰のない方を神葬祭で祀るのもいかがなものだろうか。
確かに国民の信教の自由は憲法で保証されている。しかしである。形骸化してしまった葬式の儀式について、ある程度金銭的な制約を法的にかけないと、亡くなってた方のご遺体を、お金がないので放棄なんどという痛ましい事件が増えるのではないだろうか。
例えばお金がない方のために、市町村が窓口になって火葬及び埋葬・告別式の費用を5万円ぐらいでやってあげるような互助会制度が必要なのではないだろうか。地域によっては実施しているところもあるようだが、戒名がなければお寺では祀れないというシステムは限界のような気がする。
成仏したかしないか、そんなことは誰にも分らない。失礼だが、お経を唱えているお坊さんにも確信がないのではないだろうか。
今回は50万円の戒名料を頂きましたが、成仏できそうないのでお金を返しますなどということにはいかない世界。逆にそういった世界だからこそ、高額なお金が行き来する世界でもある。
お金をかければ成仏するという幻想とらわれて、それに便乗しているのが、お寺の葬式なのではないだろうか。
お寺の法名代は値切るもじゃないとか、言われるが、高くて払えなければ、俗名のまま納骨すればいいだけだ。
家族で手をあわせ故人に感謝の言葉をささげ花を手向ける。これでも立派な供養のような気がする。
田舎は特にそうかもしれないが、結婚式にしても葬式にしても、見栄を張りすぎる。隣人の家の時は7000円ぐらいのお膳がついたので、うちでもしなければとか、ごちそうになってきて、うちでやらないわけにはいかないとか。そういう感情が、どうしても離れないのではないだろうか。
葬式のあとの初七日の法要を見ていつも思うのだが、あの酒の量とお膳の料理の数は尋常じゃない。まるで酒宴だ。
お金がなければないなりの供養がある。無理をする必要はない。
お金があって盛大にやりたい方はもちろんどんどんやってかまないだろうが、そういった方々の金銭感覚が、お寺さんの経済感覚を麻痺させてきた現実は否定できないだろうと思う。
寺子屋を営んでいて、お金のことは頻繁に実感する。5000円の月謝を支払うにも大変なおうちがある。申し訳なさそうに電話をしてきて、3か月ほど先延ばしにしてもらえませんかなんて言う電話は毎年だ。
まして家族が急に亡くなった時の葬儀代なんて言ったら青天の霹靂。50万100万のお金が重くのしかかる。
お金がないのは、保険に入っていなかった自己責任だなどとおっしゃる方がいるが、息子や娘を学校に入れるために、親ごさんが保険の解約をして入学金にあてている現実を知ったら、そんなことは軽々しく言えない。
この事案は本当に深刻な日本社会の事案だと僕は思っている。

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2021年1月22日 (金)

商標登録

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30年前に塾を開校する特に悩んだのはネーミング。大験セミナーという名前を本当はローマ字で登録したかったのだけれど、これがいろんな商品名に使用されていてダイケンを大験としたのは苦肉の策でした。

今日は高校での授業がなかったので、久しぶりに近郊の温泉に行ってきました。休憩していた机を何気なく見たらDaikenの文字が。まさに僕が使いたかったネーミング。なんか机にジェラシーを感じましたね(笑)。

ところで、昨年ざわついた岩手六芒星ですが、友人知人から商標登録をしなくていんですかというアドバイスを頂いた。新聞・週刊誌・テレビ等での露出が始まってのアドバイスだったのだけれど、まあ~商品登録の本元は各神社の神様にあるものですからね。誰かがあくどい商売をしたとしても、神様ごとですからね、言わずもがなですね。

 

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毘沙門天と坂上田村麻呂

毘沙門天像の特徴は、甲冑をまとい、右手に宝塔、左手に宝棒を持って邪鬼を踏みつけている武将の姿ですが、弁財天の夫神と言う伝説もありますね。


毘沙門天は、もともと古代インドのヒンズー教では財宝をつかさどる神であり、また北方の守り神でもあったとされています。坂上田村麻呂が毘沙門天の化身と言われるゆえんは、日本の蝦夷を統制したことで、北方の守護神としての姿が、毘沙門天と重なったものではないでしょうか。


毘沙門天はインドから中国に渡り、北方を護る守護神として四方を守る仏教の四天王の一人に数えられ、日本に伝わったとされています。坂上田村麻呂の祖先のルーツは大陸からの帰化人と言われていますが、そういったことも毘沙門天化身の伝説とダブった要因だと思いますね。

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2021年1月21日 (木)

生きていることって奇跡なんだよね

岩手県の県南地区の昭和30年代初めの乳幼児の死亡率って、調べたら50%なんだよね。つまり生まれてくる赤ちゃんの半分が3歳まで生きれなかったんだね。考えてみれば、僕もそうだけれど、農家ではほとんどが自宅での出産。自宅に車もなかったし、緊急を要する事態への対応が出来なかった時代だね。

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僕らが子どもの時って、家にある暖房はこのような囲炉裏と湯たんぽぐらい。マイナス10度以下の寒さの中で生き抜くのは大変だったと思う。各部屋にストーブがあってエアコンがある暮らしなんて、当時から考えれば王侯貴族の暮らしだよね。

本当は生きていることが奇跡なんだよね。感謝の重さが違うよね。

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2021年1月19日 (火)

坂上田村麻呂の封印

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阿弖流為とモレの蝦夷軍を制圧した征夷大将軍・坂上田村麻呂は、古代東北に強烈なパワーを放ってきた磐座の神アラハバキを封印するために、毘沙門天を配置し、そのパワーを抑え込んだ。

800年前後に建立された封印としての毘沙門天は、時の流れの中で風化し消滅してきたが、現在でもその封印の様子をライブで見ることができる場所が岩手にはある。花巻丹内さん神社のアラハバキ神に対座する東和の毘沙門天。そして僕が提唱した六芒星の西の結界である平泉西光寺の窟屋アラハバキを封印する毘沙門堂。

かつては六芒星の北の結界平泉関山に鎮座する白山神社にも、そして東の結界舞草神社のアラハバキ神にも毘沙門堂が建立されていたという歴史の記述があるが、残念ながら今はその痕跡を目にするすべはない。

坂上田村麻呂が恐れたアラハバキの磐座、令和になった今も東北の民を守るべく、癒しのエネルギーが放射されているだろうと、確信するかねごんである。

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あ~

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今朝も吹雪。岩手は氷河期に突入したかのような雪と寒さが毎日続いています。この寒さのせいでしょうか、お年寄りも体調を崩すんでしょうね、近隣で亡くなる方が増えています。コロナも大変だけれども、この寒さも大変です( ;∀;)。

自宅から仕事場まで通常30分で到着するのが、今は1時間10分くらいかかります。参りました。

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2021年1月17日 (日)

どさくさまぎれのかねごんの運命論

29歳で脱サラをして自営業者になって30年以上が過ぎたけれど、不安定な自営業ゆえ、自己啓発とかスピリチャル的経営哲学の本は、本当に呆れるくらい読んできました。

60歳を目前にして気づいたことがあって、自分のステージが上がった時って、奇跡的なシンクロニシティが頻繁に起こるってことですね。そしてそういった時の自分の決断はほぼほぼ間違いじゃないってことです。逆に負のシンクロニシティが起こる時は、自分の進んでいる方向性が良くないことを示唆してくれますね。

生きて行くことって実に不確かで、予想しないことがどんどんやってきます。この30年間を振り返っても、バブル崩壊やリーマンショック、そして東日本大震災、新型コロナウイルスと生活基盤を脅かす危機的状況が矢継ぎ早にやってきました。そのたびに様々な対応を迫られてきたわけですが、決断したことを信じる事と,ぶれないことが危機回避の秘訣のようです。

儲かる儲からないという価値基準で塾を考えれば、はっきり言って田舎の個人塾なんて儲かりません。大手フランチャイズの膨大な宣伝の前になすすべもなく、じっと手を見るの心境です。同じ土俵で相撲をとっていては、瓦解していくのは火を見るよりも明らかです。

僕が悟ったというと大げさですが、頭のいい人って、頭の悪い人の本質をひょっとしたら理解できないんじゃないかという事です。つまり僕のように4流・5流の高校や大学を終わった人間ゆえの、紆余曲折した(笑い)理解力があるんじゃないかという事ですね。そのことを自分に言い聞かせてからは、自分に対する学歴や偏差値のコンプレックスが消えましたね。そして塾経営も儲からないなりに楽しむことが出来るようになりました。

東大や早慶出身の先生を前にしても、いい意味で動じなくなりました。昔はビビッていましたけれど(笑い)。

ところで引退という決断もいつかはしないといけないんでしょうね。僕が非常勤講師で行っている私立高校では60代どころか70代の先生もバリバリ授業をやっています。先輩先生方の情熱とエネルギーには本当に頭が下がります。30代の頃は、60歳で引退して年金をもらいながら、軽い仕事をしながら好きな山登りでも思っていましたが、年金はどんどん遠ざかり、頂く金額も年々減少し、こりゃ死ぬまで必死に働かなければあかんと、老後の消滅にあたふたしております。

こういった時代に生まれて来たのもまた自分の運命なんでしょうかね。さて本日は今年の卓球はじめです、温かくして出かけたいと思います。それじゃ。

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今年の雪には参りました

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昨年12月半ばからいったい何度雪かきを塾の前でやったでしょうか。一昨年の雪の無さは記録的で、どこのスキー場も悲鳴をあげていたのに、今年は雪が多すぎて、スキー場までの幹線道路を確保するのが大変な状況。

塾の前も、雪をどけてもどけても、道路は雪だらけ、参りました。腰が弱い僕は、整骨院の領収書が束になるくらいい溜まり、いろんな意味でため息ばかりです。僕もずいぶん生きてきましたが、こんな雪の多い年は経験がありません。

昨日は大学共通テスト・一関一高附属中学校・一関高専の推薦入試でした。心配された雪もなんとか降らず、交通状況は大丈夫だったようです。塾生の皆さんの結果発表がドキドキです。それにしてもコロナ禍の中、精神的にも大変な受験勉強でしたが、よく頑張ったと思います。

 

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2021年1月16日 (土)

時計

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自習室にアートチックな時計を置いてみた。

携帯の時代になっても、僕は時計が好きなんですね。アナログな時計がほっとするもんだから、こんな超アナログ時計にはまっています(笑)。

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2021年1月15日 (金)

その幻想にこだわる時

小学校の高学年の児童が学校から帰ってきて、すぐに塾に行って受験勉強をする日常と、学校から帰ってきて、おじいちゃんやおばあちゃんを手伝って田んぼや畑で仕事をする日常のどっちが児童にとって幸せだとか、将来性が有望だとかいう判断が仮になされるとするならば、その判断基準は人間の尊厳や人間の価値や、人間の生き方そのものを俯瞰したものでなければならないはず。我々教師が、家庭環境に直接介入できない敷居の高さが、実はそこにあるような気がします。

勉強することは大切だよと言われますが、そのことを口にする大人は、勉強することの本質を踏まえて言っているというよりは、世の中大変だから勉強しなさいよという言葉で、一種の恐怖心や不安感を払拭させたいが故のアドバイスであって、勉強することのサディズムを推奨しているわけではもちろんないですね。

誰しも幸福でありたいもの。それは実は勉強しなさいと言う大人もまさにそうであって、勉強することで幸福が手に入るという幻想を、自分に言い聞かせて、自分を癒しているのかもしれないですね。

努力の先には、間違いなくある種の成功が待っています。しかしそれを最終的な幸福と呼ぶのは、現実として難しいものがあります。年配の方が、若者相手に話すかつての武勇伝や成功話ほど退屈なものはなく、たとえ年老いた方でも、さらなる未来を見据えている方は、そんな話はしません。ひょっとすると、勉強や努力が大切だとも語らないのではないでしょうか。

人は生きざまでしか、人生を語れないような気がします。受験生に勉強が大切だとは、あまりにも当たり前すぎて言えません。僕が言えることは、自分と大切な人を守るすべを身につけてねという事ですかね。そのために人間は頑張って生きて行くのだと思います。

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2021年1月14日 (木)

春を見つけましたよ(^^♪

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今日は一関修紅高校の単願入試。いよいよ入試が始まりましたね。
・・で、今日は僕の授業がないので、スコップを抱えて雪を掻きわけましたら、見つけましたね、春を(^^♪

 

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2021年1月13日 (水)

早く春を招いて

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指導室に鎮座する招き猫。かなり個性的(笑)。

磐井川の土手は、12月14日の大雪以来ずっと真っ白け。お金や福も欲しいけれど、とりあえずは早く春を連れてきて!

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2021年1月11日 (月)

人は生きているだけで丸儲け

今日は不登校に関して僕の個人的な意見を述べさせていただきます。お子さんが学校に行かない、もしくは行けない状態を一番心配しているのはお父さんやお母さんです。でもですね、心配しすぎると身体に良くないので、自分のこどもは三年寝たろうだと思えばいんですよ。

育て方が間違ったとか、わたしの責任なんて思わないことですね。やたらと心療内科を梯子したり、宗教に頼るのは疲れるのでやめましょう。お子さんの求めている魂の目標と、現代社会が乖離しているだけで、学校に行かないのは病気でもないし、ご家庭の責任でもないですね。親御さんが大丈夫だと思えば大丈夫ですよ。

人間関係が苦手なら動物相手の仕事でもいいだろうし、自宅でのパソコンでの仕事でもいいだろうし、自然の中の生活でもいい。ある意味サバイバル可能な場所はこの地球上にいっぱいあります。

僕は先生なんて呼ばれる仕事をしているわけですが、子どもの時宿題が大嫌いでした。大人になってからもそうですが、誰かに強制されるワークはダメですね。だからずっと自由な生活をしています(笑)。中学生や高校生は莫大な宿題を学校から日々頂いています。ゆえに塾から課題を出す余裕も隙間もございません。

今僕が学校に通う生徒なら、間違いなく不登校になっていたでしょうね。なにせ中学校の夏休みや冬休みにだされる○○の友みたいな薄っぺらのワークさえやらなかったダメ生徒でしたからね。基本的に学校はつまらないですよ。部活のヒーローだとか、大好きな子が同じクラスに居るなんてことであれば、頑張って行くんでしょうけれどね。

嫌なことが多い世の中です。嫌だな~と思っても思わなくても、ほとんどの人に明日はやってくるわけで、ある種の鈍感さみたいなものを身にまとって、少々のことは気にしないことが、楽に生きる秘訣なのかなと思います。努力は大切って言うけれど、自分の命を危険にさらしてまで勉強や仕事をする必要はないと思うんですよね。めちゃくちゃ頑張った人は、もちろん偉いし、凄いと思うけれど、頑張らないからって、人間性や人格まで否定されちゃたまったもんじゃないですよね。

高校時代の体育の先生がよく言っていたフレーズなんだけど「人は生きているだけで丸儲け」って言う言葉、僕は好きでしたね。

 

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宇宙創造

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リサイクルショップで見つけてきたグッツで宇宙を作ってみた。

六芒星は太陽から木星までを表現し、中央の五芒星は地球の波動を強化。ちなみに太鼓の模様は銀河系宇宙。そんなことを塾生に説明したら、さすがプレアデス星人と褒められたが、かなりやばいやつだと思ったのか、そのあとは一切僕を無視して一心不乱に勉強していた(笑)。

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2021年1月10日 (日)

地球寒冷化?

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昨日、今日と我が家はマイナス15度~16度。台所以外の水道はすべてアウト。風呂場のシャワーもアウト。教室は断熱材がバッチシ入っているので、トイレも水道も無事でしたが、自宅は断熱材ゼロの典型的農家民家。夏向きではありますが、この極寒には対応ししていません。

薪ストーブで温めて水道を解かそうとしたものの、今度は薪ストーブの煙突が詰まって、煙が逆流。部屋中が蒸気機関車がトンネル入った時の窓閉め忘れ状態の客車。あ~( ;∀;)

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2021年1月 9日 (土)

寒中お見舞い申し上げます

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寒中お見舞い申し上げます。

今年は思うことがあって、年賀状を失礼しました。いただいた皆様ありがとうございます。

一関は昨年12月14日より連日の雪と極寒で、道路は完璧なアイスバーン。自宅から仕事場への往復でへとへとになる毎日です。朝晩、いつもの2倍の時間がかかって、軽トラックのブレーキを踏む足が痙攣しそうです。皆様ご自愛くださいませ。

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2021年1月 8日 (金)

冬期勉強会最終日

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本日は冬期勉強会最終日。くまさんが参戦。

夜になって千厩の小梨に帰っていきました。くまさんも雪が多くて大変ですね。

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2021年1月 7日 (木)

丑年なんで

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丑年ということで、塾の玄関にこんなものが。

尋常でない僕の感性のきらめきが爆発しております(笑)。

 

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2021年1月 6日 (水)

ぼちぼち30年が過ぎて

寺子屋を開校してほぼほぼ30年が過ぎたわけだけれど、短かったような長かったような、いろんな思いが去来する今日この頃です。本日病気で療養中の伯父から久しぶりに電話があって、まだ塾やってんのと尋ねられましたが、懐かしいフレーズを耳にして、昔を思い出しましたね。

30代の頃は、知人に会うたびに、まだ塾やってんのって聞かれましたからね。まるでやめていることを期待されている感じで、闘争心を掻き立てられましたね(笑)。この年になってくると「まだ塾やってんの」の意味あいが違ってきてわけで、僕の身体や健康を心配してのありがたい言葉だと感じるこの頃です。

高校の講師と塾教師そして農家(現在は草刈り農家‥笑)の三足の草鞋を無理やり履きこなしての日々。自営業故退職金などあるはずもなく、おまけにあと5年は年金も出ない身。働くのは至極当然のことで、もうしばらく走り続けなければなりませんね。

昨年はこのブログで3年前に発表した岩手六芒星の記事が、マスコミやメディアに拡散し、とんでもない騒動になりましたが、はたして今年はどんなストーリーが待っているのでしょうか。巷では、本を出版しましょうとか、コラムニストに転身してはなどのお言葉を頂く昨今ですが、もし本気で塾以外の何かをやらせてもらえるなら、やっぱり音楽がいいかななんて妄想している60の爺です。

なにせ小学校の卒業文集に寄せた僕の将来の夢は、歌を歌う人でしたからね(笑)。なんちゃってシンガーソングライターとして20年余りいろんなところで歌わせて頂いてきて、ある意味僕の夢は叶ったわけですが、青春時代音楽に没頭しすぎて、失ったものが大きすぎました。その無くしたものをあえて音楽で奪い戻したいという野望はありますね。

ということで60の爺の野望はまだまだ続きそうですね(笑)。

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2021年1月 5日 (火)

変わる時代の中で

戦後の経済成長期のど真ん中で育ってきた僕らの世代にとって、働くという事は、夢を叶えるという表現の同義語だったように思う。努力して働ければ、家が持てて、車も買えて、そして結婚もできると、そんな現世利益の欲望を全うすべく、馬車馬のごとく働いてきた気がする。

努力の先にあるものが、実体の伴った豊かさとして体感できる時代なのかと自問自答することもなく、幻想的洗脳の嵐のなかで生きてきたのが、実は現実だったかもしれないが・・・

その幻想も、あのバブルが終焉した時から真綿で絞められるような状況となった。学歴や能力主義が終身雇用制の恩恵をかく乱し始め、企業や社会は労働者に対するスタンスを、人的尊厳から人的効率へとシフトしてしまった。それと同時に、教育現場では学級崩壊なる現象が現れ、不登校という教育現場からの回避が増加した。

お金を持つものが優位な社会。それは現代の資本主義社会の常識ではあるが、人類の歴史の中での揺るがない真理でもある。情報社会の中で、このことがあまりにもフォーカスされ、経済格差に対する怨念が充満する不満社会が闊歩している。

今年の冬は猛烈な寒波に襲われている。マイナス8度の部屋がストーブに暖められて10度くらいになると、ほっとした温かさに包まれる。しかし、それもつかの間。15度前後からなかなか20度にならない間、じわじわとした嫌な寒さを体感してしまう。

毎朝、薪ストーブに点火する間、僕はその体感を経済活動になぞらえていた。食生活を満たす収入を得ると、人はほっとする。しかしその時に、周りを見渡せば、見えてくるのは最新型のスマホ・新型の掃除機・全自動食器洗い機などなど。働く価値観を揺さぶる消費の渦に巻き込まれていく。モノや娯楽の為に自由が搾取され、消費のための労働を強いられる人生。

この呪縛から逃れるためには、質の高い自由を体感する必要がある。僕自身、ようやくその蟻地獄の存在に気付いたばかり。さて変わる時代の中で何をまずは始めようかな。

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2021年1月 4日 (月)

新年最初の勉強会

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本日1月4日。新年の教室がスタートしました。

ものすごい雪で、通塾が大変ですが、受験生の皆さん頑張りましょう!

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2021年1月 3日 (日)

そういうことで

唯一の趣味と言えば、曲を作ってわけのわからない歌をがなり立てることだけれど、正直この趣味というか嗜好性のために失ってきたものは多かった気がするね。楽器が弾けて良いですねとか、歌をつくれて良いですねとか言われるわけだけれど、なんかね~。人生の中で本当はやるべきことがあったはずなのに、音楽に逃げてきてしまったというのが、正直なところ本音だね。


昔僕らが高校の時はね、バイクとギターと〇〇が不良三点セットだったからね。勉強もせずその三点セットに没頭していたからね。困ったもんだ(笑)。そのおかげで勉強はアウトだったね。ライブをやっている人はわかると思うけれど、ステージでスポットライトを浴びちゃって、オリジナルを演奏しちゃうなんていうのは麻薬と同じで、依存症になるよね。本当は勘違いなのにね(爆笑)。


大学に在籍中もそうだったね。4流5流の学校に通っていると自虐的になってね。音楽とバイトに明け暮れたね。楽しかったことは楽しかったけれど、不安がバリバリあったね。でもねその不安に打ち勝って自虐的に音楽をやってきたという経験が、精神的なある種のコアを構築してきたことは間違いないね。


逆境に陥ったときの開き直りがうまくなったとか(笑)、自分のごまかし方がうまくなったとか(笑)、そんなことに役だっているかもね。昨年は新型コロナウイルスのために、外で歌うことは皆無だったね。今年はどうなるかな。まあ、歌えたら歌うか・・・

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2021年1月 2日 (土)

黄昏るのもまた楽しからずや

理系とか文系とかいう能力の分け方があるのだけれど、なんというのか最近は、優秀なやつが理系で、文系は暇つぶしみたいな選別をする世の中の風潮があるようだ。まあ確かに、僕なども超文系タイプの人間で、文明の機械的進化に一切貢献できない人間なわけだけれども、まあしょうがない。

理系や医療系の学生さんの就職が有利という概念は間違いではない。高校生に形容詞のク活用やシク活用などを教えている僕だが、確かに古典や現文の知識が何らかの職業に直接役立つかというと、役立たないだろうなと思う。文系で一番武器となるのは英語力や作文力なんだろうけれど、それさえもパソコンやスマホの進化によって、かつてほどの職人技を必要とする社会ではなくなった。

2021年を迎えて、世の中は収束が見えない新型コロナウイルスの蔓延に疲弊している。ワクチン誕生の報道がなされてからだいぶガードが甘くなった感があり、感染者の数はうなぎのぼりだ。特に我が岩手県は、感染者に占める死亡率が全国ワースト3に入っていて、高齢者が多い地域性ゆえの犠牲者が増えている。

未曾有の感染病との戦いはあまりにも多くの犠牲者を出してしまった。これは失った命ばかりではなく、経済的な損失も含め、多くの人々の人生を変えてしまった。日本もアメリカも政治のトップが代わったが、そのかじ取りの先にあるものが、楽観視できない状況であることは変わらないようだ。東京オリンピックを開催する方針で、関係者各位は動いているが、この状況で実行できるのだろうかという稀有は否定できない。

新型コロナウイルスが猛威をふるう中、一番急務なのは確かに医療や薬ではあるが、この状況での人生の舵取りに必要な力は、言ってみれば文系力の力であるのかも知れない。全体を支える能力と個々人を支える能力は、一見かみ合わないもののようにみえるが、本質は変わらないはずだ。

簡単に言ってしまえば、自己実現のための創造力が必要な時代のような気がする。それを強化するのは祈りとか愛とかなんだろうけれど、こんな話をすると理系タイプの方はどうなんだろう。僕は祈りと愛が、この時代を扇動していく最強のツールだと真面目に考える人間だけれど、やっぱ文系タイプは、ある種黄昏タイプの人間なので、こんな発想で生きて行くしかないようだ。

 

 

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2021年1月 1日 (金)

風呂は外だよ~

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我が家の風呂は外風呂。この令和の時代かなりレアな存在だろうと思う。情緒があっていいという意見もあることはあるが、今回のような大雪となると、風呂場にたどり着くのが一苦労。

夏は風呂場からでると、星を眺めながら家の玄関へ。冬の雪の日は・・・やばい( ;∀;)

 

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雪に閉ざされて

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年末から元旦にかけての大雪で、どこへも出かけられず、ストーブの前でじっとしていたのだけれど、足つぼマッサージを置いて、ふみふみ。

岩手日日新聞の正月特番の増刊号で、一面を使っての岩手六芒星の記事を書いていただきました。今年の元朝参りは、六芒星神社をまわる計画を立てていましたが、この大雪で断念。家内と自宅そばの神社にお参りしてきて、ずっと家にこもっています。もう雪はいいですね。( ;∀;)

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