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2020年11月 7日 (土)

『岩手六芒星の取材を受けて』


今年は岩手六芒星の取材をずいぶん受けました。新型コロナを防ぐための六芒星神社ではなかったのですが、関連付けた記事として多くの皆さんに岩手六芒星を知っていただきました。ありがたいことです。

新聞各紙をはじめとして、週刊誌やテレビ等でも紹介いただいたゆえに七つの神社を訪れた方々も増えているとのこと、各神社の神様も喜んでいることと思います。今日はちょっと六芒星神社にまつわる僕のさらなる妄想を述べさせていただきます。

六芒星神社には坂上田村麻呂伝説が猛烈に付加されています。阿弖流為を滅ぼした征夷大将軍・坂上田村麻呂が何故にこの地元で英雄扱いされているのか不思議に思われている方は多いはずです。僕もずっと不思議に思ってきた一人です。

蝦夷を成敗した坂上田村麻呂を英雄に仕立てたのは、同じ蝦夷の首領安倍氏だったのではないかと思うんですね。坂上田村麻呂を伝説化し英雄扱いすることで朝廷側の警戒心を緩和するツールに利用したのではないかと考えています。そしてこっそりと坂上田村麻呂伝説の磐座を結界として利用した。なんて妄想するわけです。

一番印象的な岩は、南の結界である一関真柴の鹿島神社そばにある鬼石ですね。鬼死骸村という衝撃的なネーミングゆえに、あの磐座はいかなることがあっても動かされないで鎮座してきました。坂上田村麻呂が成敗した蝦夷の鬼を埋めた岩なんて誰も動かしたくないですもんね。ゆえに国鉄が通ろうとも、4号線を作ろうともあの岩は不動の場所をキープしてきたわけです。まさにそれが安倍氏が意図した結界の守りだったろうと思います。

そういった結界も、源義家が結界の周辺に綺麗に八幡様を勧請することで、安倍氏は前九年の役で敗れます。しかしその結界は幾多の戦火を乗り越えて今も引き継がれています。僕は単なる提唱者ですが、この六芒星に魅了された方々が、新たな光をこの神社の歴史に灯していくことを確信しております。また源義家が勧請した八幡神社は藤原清衡の加護を受けて、地域の守り神として新たなる守護神としての歴史を作ってきました。ある意味安倍氏の反乱が無ければ、やってこなかった神様かもしれません。

Photo_20201107220701

最近になって鬼石のそばに素晴らしい案内板が出来ました。感謝です。

 

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