季節は巡る
いつの時代も、不条理や矛盾が日常に蔓延し、やんごとなき慟哭とともに人はうつむく。大変な1年の幕開けだったけれども、今年も受験のシーズンがやってきた。
コロナ不況の為に大学進学を変更する生徒。東京での大学生活を夢見ていたものの、急遽地方の大学に志望を変えた生徒。それぞれの決断とそれぞれの諦観が錯綜する季節だ。
生きて行くためにはお金がかかる。至極当然の現実だ。お金を稼ぐためには働かなければならない。それも至極当然の現実だ。大学に行かなくてもやれることはいっぱいある。やるべきこともいっぱいある。「なぜ大学に行くのか、行きたいのか」そのようなテーマの原稿用紙を前にして、全く鉛筆が動かない受験生が毎年いる。
きっと本音と体裁が錯綜して書けないのだろう思う。高卒では格好が悪いから。働くのがまだ嫌だから。3Kの仕事はいやだから。安定した収入を得たいから。確かに正直に書いたら、論文の点数は不合格だろうな。
年間に塾や高校を通じて、添削や評価のために500枚ほどの高校生の原稿用紙を読むだろうか。そこには生徒たちの欲望と希望のジレンマを垣間見ることができる。想うことが実現する世の中じゃないことをわかりつつ、それでも自分を鼓舞しようとする姿は、時に痛々しくもあるが、彼らの人生に光を感じる一瞬でもある。
今年も秋色の風が吹いてきた。昨日の朝から我が家の茶の間にはストーブが鎮座して、懐かしい灯油のにおいが部屋に満ちた。季節は巡っていく。
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