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2019年2月 8日 (金)

未来は神のみぞ知る

さて今日は禁断の本音を語ろうかと思う。

塾敎育は必要なのかという話だ。そもそも塾ってなんだろうと考えてみると、40年近く塾教師をやってきた僕も、自問自答の明快な答えは浮かばない。

正直に言うと、もちろん塾生の合格のために頑張ってきたことは間違いないのだけれど、最優先は家族を養うためというのが大きな原動力だった気がする。よく生徒のために云々という塾屋がいるが、月謝をもらっているから出てくるリップサービスで、霞を食べて生きているわけではないので、皆生活のために頑張っているのだ。

その月謝の話をしてみたい。「先生の塾は安すぎますよ」ご父兄や塾生からよく言われる。

実は月謝が安いのは、僕が指導に自信がないわけでも、偽善者ぶっているわけでもない。

お金がないから敎育が出来ないという世間の愚痴が嫌いなだけだ。お金持ちだけが教育費にお金をかけられるという社会的状況が僕は許せない。

正確に言うと面白くない!

勉強が嫌いだった僕は、高校は私学に行った。家計が火の車だった我が家なものだったから、高校の授業料は奨学金とバイト代で3年間自分で支払った。大学も同様だった。

東京に出たかった。音楽をやりたいがために、その口実として、大学に滑り込んだ。そして卒業後、音楽に未練を残していた僕は腰掛けのつもりで塾講師になった。そしてハマった。

僕が勤めた進学塾の先生は、実に魅力あふれる人達だった。子どもたちが実に生き生きとして輝いていた。こんな学びの場だったら、僕も勉強が楽しかっただろうと心底思った。

近頃、テレビでは塾や予備校を題材としてドラマが流行っているが、僕が塾教師を始めたころの田舎は、塾に対する偏見と差別が渦巻いていた。教員試験を落ちた人間の吹き溜まりと揶揄されたこともある。実際バイトと音楽三昧の学生生活を過ごした僕は、教員採用なんて指さなかったし、もちろん採用試験を受けたこともない。

生まれてはじめて先生の授業に感動したのが塾だった。大学の卒業後、東京の進学塾に勤めることになり、研修と称して、先輩方の授業を見学する日々が続いた。中学の授業でも、高校の授業でも、大学の授業でも感じたことがない、熱気と魂がこもった授業そこにあった。

僕が塾教師という職業を決めた瞬間だった。

ところでなぜ安い塾にこだわるかと言うと、自分の親がお金に苦労した人生を見てきたものだから、少々家計が苦しくても通わさせられる塾を頑張ってやっているつもりだ。それだけのことだ。

塾は必要かというと、実は必要じゃない。教育体制が変わって、学校の先生が、個々人のやる気を引出してくれるなら、僕らの仕事は必要ない。学校というところは制約が多過ぎて、能力ある先生方のやる気を損ねてしまっている。残念だ。

塾は制約がない。その分、塾教師の個性や能力が、ダイレクトに評価される。おもしろいが、厳しい世界だと思う。正直疲れることも多いけれど、自分が選んでやって来た道だ。最後まで走りぬけるしかない。・・・・・と思っている。昨日誕生日を迎え、いよいよ還暦という文字がだいぶ近づいてきた。未来は神のみぞ知るだ。とりあえず今を頑張ろうと思う。

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