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受験指導を生業(なりわい)としていると、どうしても目に見えない力に頼る傾向があって、いつの間にか神社オタクの塾教師になってしまった(笑い)。今世の中は神社ブームだそうだけれど、先取りの人生ってとこかな。
我が家は、400年続いてきた百姓家で、僕が確か18代だか19代目。屋敷の鬼門である北東にはいつの時代からあるのかわからないけれど、石宮が鎮座している。ほっとくわけにもいかないので、気が向いたときはお水と塩をお供えして、祝詞の真似事などをしてむにゃむにゃと口ずさんでいる(笑い)。
先日その石宮に赤とんぼがとまっていたので写メを撮ったら、ちょっと不思議な影が映りこんだ。確かに僕の手の影だけれども、帽子をかぶった小人さんが拝んでいるような影に見えなくもない。何かの吉兆だろうと勝手に決めつけ喜んでいる、まったくもって単純なハゲおやじである。
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土日の中学生の卓球の指導が10年を過ぎた。そしてこのわくわく日記も10年を迎える。2年前からは10年間沈黙していた山登りを再開した。開業した塾は、10×3年めをもうすぐ迎える。
母の介護を期に3年前、稲作農家を廃業した。しかし山間部にある甲子園球場ほどの休耕している田んぼと畑の草刈り作業が、毎年怒涛ごとくやって来る。年齢はジジイになったが、ジジイになる暇がない(笑い)。
年々頭髪は薄くなり、老眼が進み、ちょっとした農作業でも腰が悲鳴をあげる。震災後低迷していた塾稼業も、卒塾生のお子さんが増え、そしてその家族の皆さんの口コミもあり、何とか税金を支払える程度まで復活した(笑い)。はっきり言って忙しい。忙しいのに趣味の世界もやめられない。
10年前から始めたアラハバキ神を中心とす磐座探訪は、地元の磐井地方とどまらず、宮城県中部、そして青森十和田湖周辺まで出かけるようになってしまった。病気である(笑い)。ここ10年いろんな意味で覚醒した感があるが、いわゆる晩年に向けてギアチェンジが必要なこの頃かもしれない。
来月初めまた十和田神社に行ってくる。病気が止まらない(笑い)。
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「うちはお金がないので私立高校は入れられません」と言う親御さんが、お子さんを中学3年間、毎月私立高校の授業料よりも月謝が高い塾に通わせ続ける矛盾。・・・わかるけどね。でもね・・・
本音はお金じゃなくて、きっと違うところにあるんだよね。世間体と言う言葉はまだまだ田舎ではしぶとく生き残っているんだな。でも私学は頑張っていると思うね。僕らの時代から考えるとものすごい進化だよね。特別進学クラスもあるし、大学の推薦枠も各段に増えている。それから制服のセンスもいい。
公立や国立というものに縁がなかった僕のひがみかもしれないけれど(笑い)、お金がないければバイトという奥の手があるね。バイトは禁止などと言ってないで、基本的なマニュアルを作って推奨すべきだね。僕は高校の授業料や大学の授業料をバイト代で支払ってきた。時代が貧しかったからね、多くの学生は僕みたいな生活をしていたね。大人になって壁にぶつかった時、学生時代のサバイバル生活は精神的にも経済的にも大きな経験値になった気がするな。
バブルも高度経済成長の恩恵も、まったく蚊帳の外だった僕にとって、塾の先生と言うこの仕事は、さらにサバイバルな仕事だったけれど、間違いなく高校や大学で学んだことは大きな糧となっている。公立の学校に行っていたら今の仕事はしていなかったかもしれない。それがよかったかどうかは未知数だけれどもね(笑い)。
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いつも僕が思うことなんだけれど、その人が見ている世界が、その人の感知している世界であって、いくらそこに風景やドラマがあっても、見ていなければ存在しないものだと思います。
言葉もそうですね。感情や精神が伴うのは、その言葉にまつわる経験や体感があって初めて化学反応を起こすんだと思います。
歌を書くと、自分の未来と過去が錯綜するんですね。過去があって今があるんじゃなくて、未来を想定して今が作られていくんですね。そのことが実感できます。言葉や歌詞やメロディーは他人に受け入れられなくても、自由に個人を開放していきます。
大げさに言えば、社会の洗脳から逃れるって言うんですかね。束縛感が消えていきますね。...
還暦も近づいて、趣味で作る歌ですから,何のしがらみも躊躇もありません。ひょっとすると、誰に聞かれることがなくてもいんですね。自分が聞いているので(笑い)。
自分の精神安定剤ですね。僕にとって歌を書くってことは。
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単純に疑問に思っていること。
なぜ月は太陽と同じ大きさに見えるところに、とどまったのか?何かの意志が働いたのか?
月はあるところからやってきて地球の衛星になったという説があるが、あの巨大さからすれば地球にぶつかって当然だっと思うが、風船のよう軽さじゃないかぎり、今の状態はないんじないかな。ひょっとして月は空洞?
2万年前の地層を調べると、現在のような月の重力の影響がまったく感じられない磁場が出てくるらしいのだ、月ってつい最近やってきたのか?
自称プレアデス星人の僕には(笑い)、不思議な友人たちがいっぱいいるけれど、次のようなことを教えてくれた人がいる。
縄文時代以前の地球には、人類が宇宙探索できるレベルの文明が存在していた。ところが1万5千ほど前、氷の塊の小惑星が太陽系の中に突入してきた。当時の科学力で何とか地球への衝突を回避できたが、太陽の近くを通ってきた惑星の氷が、水となって地球に降り注いだ。表面の氷を焼失し、軽くなった小惑星が地球の軌道につかみ取られたのが、今の月なのだという。
聖書に書かれているノアの箱舟の神話はこの時のことを描写したもので、人類の絶滅を阻止するために、科学者たちが地球上の生物のDNAを保存した宇宙船で、一時期、当時基地があった金星に避難したらしい。
これを読んでいるよいこの皆さん、これはあくまでも自称プレアデス星人である僕の、また聞きの話なので、入試には出ません(笑い)。あしからず。
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世の中はやれ資格・資格・資格と何かとうるさい。その人の能力より資格が優先される社会というのもいかがなものだろうかと思うが、しかしはかる尺度を考えると社会構造が機能しなくなるので、そういうことなのだろうと思う。
ところで塾教師というのは基本的に資格はいらない。教員免許をもっていることが望ましいかもしれないが、実際は必要ない。極端なことを言えば、大学どころか高校を終えてなくても問題ない。 塾を始めたいという方に、今までに塾を開く方法を何度か尋ねられたが、認可制じゃないので、看板を掲げ税務署に届ければ、その日から塾のスタートである。誰でもできる。問題は生徒やご父兄のニーズにこたえられるかどうかなわけで、ある種サバイバルな仕事だが、指導者の人柄・気力・そして運がすべてだろうと思う(笑い)。
小学生・中学生に教科を教えることなんて、学歴なんか関係ない。忍耐力といかに生徒の潜在能力を引出せるかである。それができる人間が、言ってみれば優秀な指導者なんだろうなと思う。
先生と呼ばれる職種には、実は資格を必要としないものが結構ある。整体師の先生やヨガの先生なども、塾と同じでいわゆる国家資格などというものはいらない。いずれかの協会の認定書などと言うものは存在するが、お客さんの体調がよくなれば、それが先生としての証となる。
資格がない仕事は一見楽そうに見えるが、なんの保証もない。40年近く塾業界で仕事をやらせていただいてきたが、その間バイトとや副業との共存の日々だった。
世の中の常識からすると、生徒の合格率が抜群であれば、仕事が安定する仕事に思えるだろうけれど、いやいやそんなに甘くない。塾生全員を志望校に合格させた翌年、ぴたりと生徒が来なくなった年もあったし、めちゃくちゃ落としてしまったのに、塾生がわんさかやってきたこともある。目に見えない様々な要因が渦巻く世界である。
学歴も資格も資本も必要としない自営の仕事は多くある。継続するカギは、その仕事にわくわくし続けることだろうか。僕の寺子屋ももうすぐ創立30周年を迎える。わくわく感がたまらない。
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南部鉄瓶を変えてみた。手回しのミルは、大学時代に買ったもので、かれこれ35年以上使っている。珈琲豆は、友人の佐惣珈琲豆店の焙煎。
20年近く飲み続けているが、もう並みの喫茶店の珈琲は飲めない。並じゃないのはモリソンの珈琲かな。酒を外で飲む習慣がない分、珈琲にはこだわっている・・・つもり。
おっと忘れていた。磐座探検隊の今野さんと行動を共にするようになって、日本酒のファンになってしまった。実に奥が深い。
10月に入って、草刈り作業もひと段落。里山はもうすぐ紅葉が始まる。中学校は文化祭の準備に入る。高校三年生は推薦入学に向けて忙しくなる季節だ。
塾の方もこれから佳境に入る。今年度もおかげさまで、全学年を通じてあと5名で募集を終了する。なんとか年を越せそうだ(笑い)。
ところで鉄瓶が変わって、味が変わった。作り手の魂が珈琲にしみこんでいくんだろうな。教育も同じかもしれない。さて頑張るか。
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